関節炎   字分けは自分け   知念先生 11:11


 

知念先生

 

 中学校で理科と数学の教師をしていた恩師が亡くなったという知らせが入った。ご命日
は7月6日とのこと。知らせが入ったのは7日のこと。その時には知らなかったことだが。
命波を共に学んでいた心の友が7日に亡くなっていたのだ。

 自愛深き恩師と小田野早秧先生門下の相弟子であった心友とを相次いで失った。その出
来事を無駄にせず、また心の慰めにもと思い字分けをしてみた。恩師は沖縄出身で、生家
は知念という苗字だったので、途中で苗字が吉田に変わっても引き続き知念さんと呼ぶ人
も多かった。

 

7月6日

ナ ム(南無)名 務

 

南無(心から帰依するという意味)、ナムに天鏡図からの文字を当てると、名務ともな
る。名(注。メイと読むと命と同音で、命波では名と命は本質的に同意とされている)の
務めとは何か。命の本質の務めとは、ます第一に生きる者全てを育むことだろう。そして、
そういう本質とは慈愛に他ならない。

自分の子供だけを育てるように本能をセットされた人間や動物の親の愛とは異なり、全
生命といういとし子を育む宇宙親の愛とは絶対平等にして、ゆるぎなき愛だ。ほんの僅か
な時間でも養い育むことをやめ、生命エネルギーの供給を止めたらすぐに死んでしまう。
間断ない、そして分け隔てなき愛でなければ生命の場は成り立たない。

このナムについている数値76はまた、天鏡図にある全ての音の数と同じである。76
音の76通りの機能(各機能は更に細分化されている)を持った宇宙の実親の働きで生か
されている私達はその慈愛に全身全霊を持って帰依する。というより、他にどうして生き
ようもないのだ。言い換えれば、

「全てお任せ」する他何ができよう。勿論人知は尽くすが、結果はお任せということ。

このような思いが伝わってくる7月6日という日に逝かれた先生の名は「知念タケ」

 

テキスト ボックス: 音云
ネン
念
テキスト ボックス: 智
チ
知
シル
思立

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天の実親の念である今の心を知るとは何か。それには「今の心」が何かを知る必要がある。

今という時の意味は時間の経過の全く無い瞬間ということである。過去と未来の間とも
言える。ある地点から他の地点へ移動するのに要する時間を時間の経過というように私達
は理解している。また朝起きて、仕事に出かけ、帰宅して就寝し、また起きるのに一日と
いう時間の経過があったというようにも理解していると思う。

有名なアインシュタインの特殊相対性理論にある方程式EMC2 とある。

これはエネルギー(E)というものと物体(M。私達の肉体も物体)と光という速度が
一定のもの(
C)との関係を表している。方程式が苦手な人に言葉で説明すると、光の速
度を超えると物体(
M)は存在できないという意味だ。物体ではなくて無形のエネルギー、
つまり光になってしまうということになる。私達の肉体という物質は
C以下の亀のように
のろい速度のエネルギーで出来ている存在なのだ。通常私達は肉体が自分だと思っている
ので、その意識も亀のようにのろい速度と同調していて、重く、不自由だ。

 

 余談はさておき、この法則だと地球から発した光がアンドロメダ星雲の中心に届くの
には150万年くらいかかることになるが、「今」という一瞬なら、出たと同時に着いてい
ることになる。恐ろしく速い。もう速いのなんのって想像もできない。

一口に「今」と言われて、ああそう、なんてのん気なこと言ってはいられない。大変な
ことなのだ。この大変な「今」が「時間経過のない時間」だからこそ、宇宙の果てまで同
時に存在していることが出来る光であり得るわけだ。
C(一秒間に30万キロの速度)で
は150万年かかる所に、全く所要時間なく同時にいられる光は

Cの無限乗(C)ということになる。物理学ではあり得ない速度だ。

この遍在(同時にあらゆる所に存在しているという意味)可能な種類の光を宇宙親の実
相であるとした小田野早秧先生によれば、音が運んでいる(音云)意味(心という字の意
味)で、しかも干(ココと読むので此処と取れ、しかも形は+と−で電磁場を意味する)
という所に露われている。此処と言う宇宙に露われている意味が「心」というたった一字
にぎゅっと詰め込まれている。

宇宙という親の内訳そのものが「念」という文字一つを見ても分かるように計らわれて
いると小田野先生は言う。字分けの図にあるように、念という字はネン(音云)と読み、
バラすと今と心になるからだ。ちょっと混乱するかな。もう一度読み直してね。

 

さて、この念というものを知るという苗字の理学の先生は名前をタケと言うので、これ
に田と計という字を当てた。

田(電磁場のこと、つまり宇宙)の計らいとは、宇宙の実親のマスタープランのことで、
これがたった76の音に付けられた文字の意味を検証することで分かるように作られてい
るということを発見されたのが小田野先生なのだ。

これを知るという状態は、空(クウ、天と同意)の智恵(口クチ)の能き(ノ+天=矢)
によるのだが、並大抵の智恵ではとても知ることは出来ない。

「うわ〜あ、ああ、そうか、そうだったのか」と納得するような頂上体験がなければ知
ったなどとおこがましいことはとても言えない。「今の心を知る」という状態は、絶対的に
圧倒的に高い天の親の智恵の能きに同調するような体験をする以外にはあり得ない。宇宙
意識と同調するという体験はめったに起きない現象だ。いつの日か
Cの無限乗の光が矢の
ように私に突き刺さり、念が何かを体験できるかもしれないと思いつつ、天鏡図を眺めて
は字分けしている。

さらに、知念先生は中学校の教師だったので、それからもヒントをもらった。

今という遍在する光の場には辺境はない。どこもかしこも中心である。中とはCの無限
乗の宇宙のことである。その宇宙を学ぶ学校、中学校で、理を学ぶ(理学科)の教師だっ
た。そして、知念タケ(田計)先生が亡くなられた日が76音の7と6の日だったのは決
して偶然ではないと思う。

 

2007/07/12