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「匂いは花のことばなの・・」

 

菊池霊鷲(太母-たも)プロファイル

明治41年(1908年)7月26日 富山県大門町の浄土真宗の寺「誓光寺」の住職菊池令雄の第三子として誕生。生れた時の顔を一目見た祖父令慧が自分で特別に育てることにし て、住職の居室である後堂(うしろどう)で幼時期を過ごす。

昭和5年(1930年) 京都西本願寺にて得度。本願寺の一室で座している時「見真」の額の文字が黄金の光の粒子となって全身を包み、宇宙の森羅万象が絵巻物のごとく眼前に展開しはじめ、自らも宇宙大に拡大していく体験をする。その後一週間あまり体験したことを咀嚼するのに費やし、翻然として、「全人類開眼万物皆安堵-ぜんじんるいかいげんばんぶつかいあんど」という願を立てる。開眼にともない五眼が開く(後出)も、納得したことを人語で伝える責任は重く、ついに自伝的私小説を書くことを決意する。題名は「緑の明鏡」とした。

昭和15年(1940年)当初の題名を改め、「慧日(えにち)」として第三巻まで完成   

昭和26年(1951年)開眼とは五眼が開き佛眼となるということにちなみ佛眼宗(ぶつげんしゅう)と命名した宗派を立宗

昭和29年「慧日 宿善編」出版
これと同時に「慧日会」を有志が発足

昭和30年 地球環境の危機に対する警告の書「舟を岸につなぎなさい」を佛眼宗にて発表。中に五眼の説明がある。

昭和31年 「舟を岸につなぎなさい」を早稲田大学大隈講堂にて発表

昭和35年 このメッセージは民間人による日本国連協会で日本の加盟を要請するにあたり活用されることになり、発表より5年目にようやくその主旨が海外に伝達され始めた

同年 「こちらをごらんなさい」を発表

昭和42年 「世界36億の人開眼前夜の集い」を日比谷公会堂にて開催

同日 慧日会より英文の「舟を岸につなぎなさい」を世界百数10ヶ国の主要人物3百数10名に送られた

昭和47年 再度英文「舟を岸につなぎなさい」を世界の重要人物80名に送られた。  

昭和57年(1982年) 京都国際会議場において「宇宙から見た地球の平和会議」主宰
真の平和は何の礎の上に築けばよいのかを世界百ヶ国以上千数百通以上の手紙にして、二度にわけて「第一のメッセージ」「第二、第三のメッセージ」として発送

平成元年(1988年) 日比谷公会堂において「世界36億の人開眼の集い」開催

平成4年(1992年) 千駄ヶ谷日本青年館において「法廷地球における最後の審判」開催。
迫りくる世紀末の内なるハルマゲドンにどう対応するかを説く。これを最後に多人数の前に現れて話すことから引退する

世界36億の人開眼の集い

あなた---
すばらしいあなたとご対面なさい
花の雨ふる中の花束があなたです
あなた自身の真の姿とご対面なさい
音なく奏楽されている百千種楽
中の一の響きがあなた自身です
あなたの善の声とご対面なさい
五月六日は世界三十六億の人々、
開眼始めの日です。その日の参列者
あなたは三十六億の代表者
天国まさに地上に開店し
高天ケ原歓喜にふるえ
極楽の門ま一文字に開く日です
あなた---
あなた自身も美の住居とご対面なさい

五眼

世界の過去、現在、未来を一貫する歴史の底流を能見し、
万物の相関関係とその実質を究め、
風嵐雨雪、地震、雷電、津波等、万象の由来とその果たしている役割を認め、
万物が有しているところの感覚とか、感情というものの、存在意義を達観し、
これ等一切を引きくるめて生成展開活動している自然界の、古今を貫いて存する永遠不変の大秩序を識別する
という眼