第十一話「今茲-無限の一点」   第十二話「観察者」   命波 12話後書き  


命波12話後書き

 

昨年は命波理論に関する小さなお話を12話ご紹介しました。その最後の「観察者」というお話の終わりに以下のように書きました。

 

小田野早秧先生は生前「他にも良い方法はあるかもしれません。どしどし探してみてください」と言っておられました。命波はあくまでも一つの手法です。何かのお役に立てたのなら幸いです。

 

命波を学ぶ方から、この言い方は誤解を招くおそれがあるとご指摘を受けました。なるほどその通りでした。私の言葉が足りなかったのです。

 

この文の冒頭に、「何が幸せになることを阻んでいるのか」という疑問形があります。幸せでなければならないというのも思い込みのひとつではないのかという考えを提示しました。幸不幸もまた概念なのだという意味ですが、概念としての幸福はちょうど砂漠の蜃気楼のようなものだと私は考えています。いくら追いかけてもつかまらない、あると思った場所にたどりつくとそこにはもう無いのを発見するのです。幸せは実は外を探しても無いのだ、ということを言いたかったのです。今茲という一瞬一瞬に注意を向けている意識状態が本当の意味での「実体験」で、私たちは過去にも未来にも生きることはできないのです。

 

ところが、これをいくら頭で理解しようとしても、なかなか実行は出来ないのはお分かりになっていらっしゃるでしょう。意識は過去にした失敗や、人から受けた酷い仕打ちやうらぎり、未来の生活への不安などに振り子のように振れ続けます。今茲に集中できる時間が一日のうちにどのくらいあるでしょうか?

命波理論を学ぶことで、自動的に今茲に集中できるようになれるという保証はできないと思います。しかし、これは命波理論に欠陥があるためではないのです。ここはとても重要な点です。小田野先生が啓示を受けて、4年4ヶ月余り、寝食も忘れて完成された、50と1音の「天鏡図」は文字通り完成しているのです。その後、濁音と半濁音を加えた表も出来ましたが、51音の表自体も完成体なのです。理論には欠陥はないのですが、それを学んでいる側に問題があるのです。学びきっていないのです。そうする意欲もおそらく足りないのでしょうが、意欲自体が生まれる体質を持って生まれて来ていない人たちが多いのではないでしょうか。受け皿としての体質が出来ていないのです。真剣さも、正直さも、だれに何と言われようと、思われようと、決して妥協せず、正直一路に生きていく勇気も、元気も湧き上がってこないのです。これは何が阻んでいるのでしょう?

 

これに関して私は二人の賢者の智恵の一端をいただく機会に恵まれました。

 

ひとりはインドの賢者、カルキ・バガバンです。初めてお会いしたのは2004年のことです。この方から学んだことの中でもっとも重要なことは、人はいま自分がこのような意識状態あるいは性質であるということを自分ではどうすることもできないということでした。自惚屋、臆病者、嘘つき、怠け者、ひょうきん者、楽天家、お節介、ひっこみじあん、不安症、短気、などなど。これはその人がそうなるように生まれ、育てられてきたことの結果なのです。他の両親のもと、他の国に、他の肉体的条件を持って生まれなおすことは今生ではできません。また、すでに起きてしまったことで深く心が傷ついた過去を変えることも出来ません。脳は過去の辛い体験、特に言語機能が未発達の子供の頃に受けた体験の記憶という傷を持って、ある偏向パターンで生きるように出来上がってしまうのです。

この脳の神経結合の状態を人間は自分で変えることは出来ないとバガバンは言います。脳における神経生理学的変化をきたす手法として、特化されたエネルギーを脳に入れるということをディクシャと呼び、これを人々に授けているのがバガバンです。私も初めてディクシャを受けてから三年間で、相当程度意識状態が変化して、その反映で日常生活における姿勢が変わってきています。具体的には「特に何も理由がないのに、幸福で穏やかな意識状態」ということが多いということです。それから成功している、あるいは世間でもてはやされている人を見ても自分と比べて羨ましいとか妬ましいという感じをあまり持たなくなったことです。比較しなくなったのです。

これが命波理論を学ぶことでは出来ないなどと私は言っていません。字分けを地道に続けることで自然にこういう比較のない、内在的幸福感を味わえるようになるかもしれません。また、私自身、ディクシャだけで心の平安に近い状態に至ったのかどうかも分かりません。字分けと両方があったからかもしれません。

 

もうひとりは、昨年11月にお会いしたイハレアカラ・ヒュー・レン博士です。セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノと呼ばれる古代ハワイに伝わる「悔悟し、許し、変換する」という問題解決プロセスを現代化した最新版・問題解決法を実践かつ教授されています。
http://hooponopono-asia.org/who's_in_charge_japanese.html参照。

 

レン博士は、潜在意識は、模倣・反響再生される記憶を追体験しているに過ぎないのです。記憶によって支配された潜在意識は、記憶と寸分違わず作用し、見て、感じ、決定を下します。意識もまた、知らずして記憶の再生に従って動いています。様々な研究事例が示すように、記憶の再生こそが、経験そのものをも支配してしまうのです、と言っています。

また、潜在意識の記憶を表層意識で意思によって消し去ることは不可能である。セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノ方式ではこの記憶をディヴァイン・インテリジェンスによって消してもらう方法を教えている。それにはディヴァイン・インテリジェンスと交信する必要がある。その通信回線を開くのが4つの言葉であると教えています。

 

 この二人の賢者の手法もまた、人々を苦悩から解放する有効な手段ではないかと思います。「それぞれのお役目」というように思います。比較はいらないのです。

 

さて、「他にも良い方法はあるかもしれません。どしどし探してみてください」と言う言葉の意味は、「命波では足りない」という意味ではないのです。

「命波はあくまでも一つの手法です」。というのは、「命波理論を基盤とする字分けはあくまでもひとつの手法です」という意味です。バガバンのディクシャも神聖なる叡智とつながる4つの言葉もまた手法ということです。命波理論、バガバンの教えの真髄、そしてヒュー・レン博士の言うインスピレーションの源である神聖なる叡智は手法ではありません。真理であり、叡智なのです。つまり完成されたものなのです。

 

それをどう受け止め、把握し、そして実生活に反映し、地球と人類の平安の為に貢献していくかが、各人の課題なのです。

 

2008/01/09