第十一話「今茲-無限の一点」   第十二話「観察者」   命波 12話後書き  


 

第十一話

今茲-無限の一点 

 

これまで話を読み進めて来た方たちは、命波理論を学んでいったい何の役に立つのだろ

うと思っていらっしゃるかもしれません。当然だと思います。私自身何度も自問自答して

きました。答らしきものに思い当たる都度それだけでは何かが足りないような気がしまし

た。何故かというと、人生の目的が明らかで、従って毎日が有意義で、従って毎日が充実

していて、従って幸福であるという自覚がなかったからです。

 今気づいていることは、「人生とはかくあるべき」だという思い込みがある限り、常に欲

求不満の不幸せ状態に陥ってしまうということです。理想と現実のギャップに悲観してい

ない人がどこにいるでしょうか。ほとんどいないのではないかと思います。

 「かくあるべき」という思い込みを全部ポロッと落っことしてしまえたら、今のままで

そのままでいいのだということに気がついて、それこそ目からウロコが落ちます。

 「今いるところ以外のどこにも行くことは出来ない。何故なら今という此処の場所以外

の場所など無いのだから」と言う小田野早秧の言葉の意味にやっと気がついたのです。

 今という時を定義すると、「時間の経過の全くない時間」となります。前話で触れた止速

という絶対の世界は仏教などで言う「無の世界、あるいはワンネス」のことなのです。ど

こかからどこかへ行くということも出来ません。止速ですから止まったままなのです。こ

れを幾何的に表現すると、「一点という広がりのない場所」になります。この空間的広がり

の無い場所を小田野早秧は「今茲(此処という意味で、ココと読む)」と呼んでいます。

絶対止速の光以外の世界では時間というものが発生します。ある所から別の所まで行く

のに何秒とか何光年とかを要することから時間の経過というものを発生させる光の世界と

でも言いましょうか。しかし実際には時間は経過を認識する主体(貴方のことです)から

見て存在するだけで、主体が無ければ存在しません。簡単に言えば、貴方がそう思ってい

るから貴方にとって時間が存在するのです。そしてこの貴方の認識というものが人類の集

合意識を構成しています。

人間はいうなれば時間という牢獄に閉じ込められている囚人で、有限の時間の中で生き

ていると思っているので、常に前途にある死への恐怖が潜在意識にあります。「今という無

限の時」に溶け込むことが出来れば死への恐れは掻き消えてしまうでしょう。

無限に溶け込んだ体験のある小田野早秧は、「黄金の霧の中で比類なき喜びに満ち溢れて

いるのに涙が止まらなかった。天の実親はこのように何時も私を抱きかかえていらっしゃ

るのに、感謝心のない傲慢で愚かな自分が感じ取れなかっただけ」と言っていました。

もう一人、私事ですが、母は、「金色の粒子が自分の中に入ってきたと思ったら、無限に

拡がりだして、自分の中に宇宙全部があった。一切合切と言うけれど、全部で一つ切りな

いから一切というのだと分かった。人間は全部で一人なの。貴方は私、私は貴方なの」と言っていました。

 ではどうしたら、実際に溶け込むことが出来るのか?それが課題となります。何が妨げ

になっているのでしょう?