第十一話「今茲-無限の一点」   第十二話「観察者」   命波 12話後書き  


 

第十二話

観察者

 

 何が幸せになることを阻んでいるのか。

元気いっぱい楽しそうにバリバリ仕事をして多くの人に尊敬されたり、褒められたりし

ている人を見て劣等感にさいなまれたり、羨ましく感じたりしてその度に胸が痛む思いや、

「こうしてはいられない、何かしなければどんどん遅れをとってしまう」という焦りにジ

リジリ身を焼かれる思いをする。

あるいは、「何もしたいことがない。何をしていても充実感がない。何で生きているのか

分からない」というような退屈を感じる。また、一見バリバリ仕事をして世間からも高い

評価を得ているからといって内実はそれほど幸せではないかもしれません。これこそ自分

の生きがいだと思ってバリバリ仕事していても始めは面白かったのですが、次第にワクワ

ク感が薄れてくるからではないでしょうか。ワクワク感は持続性があまりないのです。だ

んだんに自分を駆り立てないと面白くなくなってきて、しまいに止めたくなるのを「燃え

尽き症候群」と言います。

 幸福でなければならない。不幸せは何が何でも避けるべきだというのも思い込みなので

はないでしょうか。「今あるままの状態。感じているまま、そのまま」を何も評価しなかっ

たらどうなるでしょう。自分で設定したある理想型からどれだけ外れているかいないかを

常にモノサシで計っては良好とか絶望的とか評価して生きているのではないでしょうか。

 「今茲という一点以外のどこにも行けない」という小田野早秧の言葉はいったいどうい

う意味なのでしょうか。

人間は大自然の受身の現象体だと彼女は言います。何時、何処に生まれるか、誰を両親

とするかおまかせで生まれる。人生で何が起こるかをただの一秒前でも予測できない。何

が起きるかも自分で決定できない。いつ死ぬか、どういう病気になるか、治るか、治らな

いかも自分で決定できない。つまり、今の自分の状態をそのまま受け止める以外に何も出

来ない。こういう条件の下に生きていることを言っているのです。

ではどうしたらいいのでしょう。私たちに何が出来るというのでしょう。

出来ることは毎日をなるべく嘘をつかずにそして自惚れずに生きているということと、

今茲で起きていることを客観的に見るということです。感情に溺れて理性のまったく働か

ないいわゆる「頭が真っ白」の状態ではなく、静かにただ観察すること。これなら出来ま

す。起きていることを、「それは困る。こうあるべきだ」という評価をせずに見ることが客

観的という意味です。客観性を確立するために今茲の状態を「字分け」することで全てが

中道という善悪も好悪も良否もない状態になるのを発見できるので、概念が壊れるのです。

ただしこれを地道に行っている結果がどうなるかは自分では決定できません。

「人智を尽くして天命を待つ」だけです。

 

小田野早秧は生前「他にも良い方法はあるかもしれません。どしどし探してみてくださ

い」と言っておられました。命波はあくまでも一つの手法です。何かのお役に立てたのな

ら幸いです。