エッセイ

Vol.02

心の平安がよみがえるとき

心の平安がよみがえるとき

 今振り返ると、「人生って生き辛い…」と感じていたとき、私は「何をすべきか」ばかり考えていたように思います。「もっとこうなりたい、ならなくちゃいけない。そのためには何をすべきか」という考えで頭の中がいっぱいでした。

 そして、考えたようにできない自分をいつも責めていたんですね。これでは生き辛くなって当たり前。私は自分の思考が自分を追いつめていたことに気づいて、「何をすべきか」から「何をしないか」に考えを改めました。

 最初に思いついたことは「無理をしない」。それまでは心を理屈でねじ伏せていたから、それからは心が発する小さな悲鳴も聞きもらさないように、心がざわついたら胸に手を当てて耳を澄ませました。すると、日常にほんの少し、静かな時間が生まれたんです。

 その静かな時間に、「私はなんであんなにアクセクしていたんだろう…もともと心は平安だったのに、思考でぐちゃぐちゃにして…まるでビーカーに入った泥水をかき回し続けていたみたい…」と感じるようになって、もう笑っちゃうしかありませんでした。

 がんばるのはいいことです。何事も真剣に取り組んでこそおもしろくなっていくから。でも、がんばりすぎる(無理をする)のはよくないと思います。がんばりすぎると、真剣が深刻に代わって、楽しくやれることも楽しめなくなってしまうからです。

 がんばりすぎなければ体力も擦り切れないので、大事なところで踏ん張りがききます。そうやって自分の力の発揮しどころ≠間違えなかったら、人生は助けられたり、助けたり≠ナなんとかなっていくものです。

 次の「何をしないか」は、「コントロールしようとしない」。そもそも誰かをコントロールできる人なんていないし、コントロールされるためにいる人もいません。そのことをしっかり胸に刻んでおかないと、つい人を思うように動かしたくなるんですね。

 人はお天気同様、自分がコントロールできる対象ではないと割り切ったら、余計な期待をすることもなくなって気がラクになりました。さらに、人はみんな違うから互いの自由を尊重するのが一番!と思ったら、態度が柔軟になりました。

 今では、自分が体験する世界は、自分の心の写し。つまり、心に巣食っている思い込みの投影なのだとつくづく感じます。 もしも、あなたが体験している世界が望まない状況だったとしても、そこであなたが無理をしたり、人をコントロールしようとしたりしないで、今こそ「何をしないか」を決める好機ととらえましょう。

 あなたが微笑んで生きていくために、これ以上続けないことを決めるのです。一度やってみて、うまくいかなかったらまた選び直せばいいんですよ。

 あなた自身を喜ばせるために本当に必要なものは何? それを自分にプレゼントできるのは自分だけです。大人になるまでに身につけた心の癖が行動パターンになっているので、そこからいらないものを葬って、もともと心にある平安をよみがえらせましょう。



ゆりりんのブログ『ありのまま、なるがまま』

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Last Updated: 2023/02/07