今振り返ると、「人生って生き辛い…」と感じていたとき、私は「何をすべきか」ばかり考えていたように思います。「もっとこうなりたい、ならなくちゃいけない。そのためには何をすべきか」という考えで頭の中がいっぱいでした。
そして、考えたようにできない自分をいつも責めていたんですね。これでは生き辛くなって当たり前。私は自分の思考が自分を追いつめていたことに気づいて、「何をすべきか」から「何をしないか」に考えを改めました。
最初に思いついたことは「無理をしない」。それまでは心を理屈でねじ伏せていたから、それからは心が発する小さな悲鳴も聞きもらさないように、心がざわついたら胸に手を当てて耳を澄ませました。すると、日常にほんの少し、静かな時間が生まれたんです。
その静かな時間に、「私はなんであんなにアクセクしていたんだろう…もともと心は平安だったのに、思考でぐちゃぐちゃにして…まるでビーカーに入った泥水をかき回し続けていたみたい…」と感じるようになって、もう笑っちゃうしかありませんでした。
がんばるのはいいことです。何事も真剣に取り組んでこそおもしろくなっていくから。でも、がんばりすぎる(無理をする)のはよくないと思います。がんばりすぎると、真剣が深刻に代わって、楽しくやれることも楽しめなくなってしまうからです。
がんばりすぎなければ体力も擦り切れないので、大事なところで踏ん張りがききます。そうやって自分の力の発揮しどころ≠間違えなかったら、人生は助けられたり、助けたり≠ナなんとかなっていくものです。
次の「何をしないか」は、「コントロールしようとしない」。そもそも誰かをコントロールできる人なんていないし、コントロールされるためにいる人もいません。そのことをしっかり胸に刻んでおかないと、つい人を思うように動かしたくなるんですね。
人はお天気同様、自分がコントロールできる対象ではないと割り切ったら、余計な期待をすることもなくなって気がラクになりました。さらに、人はみんな違うから互いの自由を尊重するのが一番!と思ったら、態度が柔軟になりました。
今では、自分が体験する世界は、自分の心の写し。つまり、心に巣食っている思い込みの投影なのだとつくづく感じます。
もしも、あなたが体験している世界が望まない状況だったとしても、そこであなたが無理をしたり、人をコントロールしようとしたりしないで、今こそ「何をしないか」を決める好機ととらえましょう。
あなたが微笑んで生きていくために、これ以上続けないことを決めるのです。一度やってみて、うまくいかなかったらまた選び直せばいいんですよ。
あなた自身を喜ばせるために本当に必要なものは何? それを自分にプレゼントできるのは自分だけです。大人になるまでに身につけた心の癖が行動パターンになっているので、そこからいらないものを葬って、もともと心にある平安をよみがえらせましょう。