神仏、ご先祖、天に向かって…と対象は違っても、年頭には大勢の人々が祈り≠捧げたことしょう。あなたは何に向かってどんなことを祈りましたか?
私にとって祈りは生活の一部になっているので、初詣に行っても内容はいつもと同じ。そんな折、ある僧侶から興味深いお話をうかがいました。お坊さんになると、まず祈りについて教えられるというのです。
祈りには2種類ある。1つは、神仏に「ああなりますように」「どうかこうしてください」とお願いするもの。これを『請求書の祈り』という。
もう1つは、神仏に「ありがとうございます」「すでにある豊かさに気づけなくてすみません」と感謝するもの。これを『領収書の祈り』という。「謝」という字には、「お礼」と「謝る」の両方の意味があります。
若いお坊さんたちは自らを振り返って、人間はもともと御仏の光によって生かされていることや、それを忘れて多くを求めてしまう愚かさについて深く考え、僧侶の祈りは『領収書』でなくてはならないことを学ぶのだそうです。
請求書と領収書という例えは、とてもわかりやすくておもしろいと思いました。はたして、今年あなたが神仏に差し出した祈りは、請求書でしたか?それとも領収書でしたか?
かくいう私も、以前は神様宛の請求書を山のように並べたものです。しかし「祈り=意宣り」と知ってからは、決意表明と感謝の領収書に代わりました。
決意表明には予祝≠煌ワまれます。「私はこうなります」と決意を述べることもあれば、「お蔭さまで私はこうなれました。ありがとうございます」と先にお礼を言うこともあります。
神様次元には時間≠ェありませんから、そうなるという強い決意をもって「予め祝う」という祈り、予祝≠ヘパワフルな現実創造のひとつなんです。
予祝したからには、そうなったかのごとくに振舞い、それを心から感謝して生きます。そうやって「なりたい自分」になっていき、手に入れたい現実を創っていくんです。
私たちの願い事はなくなりませんし、願い事はいくつあってもいいんですね。ただし、それらを全部神様宛の請求書にしないで、領収書にするのは本当に大切なこと。それこそが、心の貧しさから、心の豊かさへのシフトになるからです。
今できないことより、今できること。今ないものより、今あるもの。それに気づいて喜んでいる自分を表明していくと、確実に人生の流れが変わりますよ。私は「願い事を意宣り≠ニして捧げられる自分って幸せだな」と感じます。それができる今が幸せなんです。
あなたが空を仰いで「神様助けて」と思ったときは、「空を仰いでいるこの今、私は不幸だろうか?」と問い直してみてください。そして祈りましょう。領収書で!