エッセイ

Vol.05

奇跡のような人生

奇跡のような人生

 人生を振り返って、「あのときあの人に出会えなかったら私はどうなっていただろう…」と思うことはありませんか? 物事は、自分ひとりがどんなに頑張っても進展しないことを実感している人は大勢いるのではないでしょうか。

 私たちは、過去に自分がしたことやしなかったことの結果を、今、目の前の現実として受け取っています。この今は、過去の結果であると同時に、これから訪れる未来の原因にもなるんですね。

 因果はめぐる……その起点はまさに『今』。だから「いつかやろう」ではなく、「今、やりたいことを手掛ける」「今、これまで惰性でやってきたことをやめる」と、人生の軌道を変えることができます。

「そう言うけど、以前に自分のしたことがのちのち影響することは納得できても、将来のために頑張っていることの成果がなかなか表れないのはどうして?」と思う人もいるでしょう。それは原因と結果のあいだには、『縁』という不思議なファクターがあるからです。

 たとえば、恋に落ちた、結婚できた、就職できた、仕事で成功した、健康を取り戻したとします。その場合、最初にそれを望んだ自分(因)がいて、次に何らかのきっかけ(縁)があり、物事が進展(果)したわけです。

 縁とはめぐり会わせ=B情報やチャンスは、いつでも人を介してやってきます。私たちはよく、「困っていたら偶然通りかかった人が助けてくれた」とか「たまたま出会った友人の紹介で」などと言いますが、「偶然」や「たまたま」の意味合いは、頭で考えても予測できないということ。

 つまり、縁は、人智を超えてもたらされる神の恩恵なんです。日本には、「ご縁ですね」「縁がなかった」「縁は異なもの」といった予測できないことを縁として受け止める表現がいろいろあります。もしかすると、何事も縁次第ということを、私たちは深い部分で知っているのかもしれませんね。

 かたや悪縁≠ニいう言葉がありますが、そもそも縁に良い悪いはありません。あるのはそのときの当人の思い込みだけ。実際、そのときはつらかった体験が、心を磨く貴重な体験だったとあとになって気づくことはよくある話です。

 私たちは、自分を苦しめる縁がなければ自分を愛することの尊さに気づけないし、イヤな人と関わらなければ好きな人のやさしさに癒されることもないんです。その意味で、人生には良縁≠オかないと私は思っています。すべてを恩恵として受け止めると、自然に「ご縁に感謝」という気持ちがわいてきます。

 あなたという存在が、無数のきっかけによって、さまざまな体験に誘われる因縁果の旅≠ェ人生です。その旅は考えても思うようにいかない反面、思いもしなかった奇跡にたくさんめぐり会うようになっています。縁に任せて、自分に与えられた一度きりの人生を心ゆくまで楽しみましょう。



ゆりりんのブログ『ありのまま、なるがまま』

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Last Updated: 2022/05/07