エッセイ

Vol.02

何を求めてもいいけど…

何を求めてもいいけど…

 誰でも自分のほしいものが手に入ると「幸せ〜〜!」って感じますよね。それまでの道のりが長ければ長いほど、手に入ったときの感激はひとしおでしょう。でもその幸福感はけして長く続かない・・・そう思っていませんか? 「幸せ〜〜!」という感覚はたちまち色あせて「不安」にとってかわり、もっと多くを手に入れなければ…と焦ったり、喜びが指の隙間からこぼれ落ちていくような恐怖を味わったりします。どうしてそうなるのでしょうか。

 もし、幸せを感じたくて「自分をドキドキ・ワクワクさせてくれるもの」を追い求めているとしたら、それは幸せではなく刺激≠ナす。

 刺激は、人生に感動や歓喜をもたらしてくれる欠くことのできないスパイス≠ナすが、スパイスが利きすぎると料理の味が損なわれるように、刺激を求めすぎると精神的にキツクなります。なぜなら、ドキドキ・ワクワクする感情は、一時的に気持ちが高ぶることで得られる満足感で、いわば退屈や落胆の裏返し。同じ波の別の局面だからです。

 私たちが心の奥で求めている幸せは、それとは反対の静寂の領域にある満足感なのです。心の底からやすらいで満ち足りている感覚…といってもいいでしょう。その感覚、じつはみんな知っていますよ。

 お風呂で温かいお湯に首まで浸かったとき、思わず表情が緩んで「あぁ〜」と声が出ませんか? 身も心も解放されてやすらぎに浸った瞬間です。満ち足りた感覚だけがあって頭の中は空っぽの状態。

 この「心底やすらいで頭の中は空っぽ」という状態のとき、真の幸せを体感します。その次元を「超意識」とか「空(くう)」とか「ゼロポイントフィールド」と言いますが、そこが私たちの源、いわば宇宙の故郷なのです。

 そのことを本当に理解すると、人生の荒波に対する深刻度がまるで違ってきます。人生に展開するドラマに巻き込まれて、死にたくなるほど苦しむことがなくなります。「なんで!」と思ったときに意識を切り替えて、物事を俯瞰することができるようになるからです。

 普段は神経を張り詰めて社会生活を送っているので、ときどきそこを離れてゼロポイントフィールドに戻りませんか。その試みの一つが瞑想≠ナす。意図して頭の中を空っぽにすることで心身ともにリフレッシュでき、ひらめきを得やすくなったり集中力が増すことが立証されています。

 瞑想に興味がないという人は、せめてベッドに入ったら、考えることを中断して頭を空っぽにするように心がけてみてください。脳波が精妙になって一日の疲れが癒され、きっといい睡眠を得られますよ。

 私たちはもしかしたら、やすらぎという幸せに浸りたい一方で、刺激というアトラクションに夢中になって泣いたり笑ったりしながら、生きることを楽しんでいるのかもしれませんね。そんな自分を俯瞰しながら、人生を大いに楽しみましょう。



ゆりりんのブログ『ありのまま、なるがまま』

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Last Updated: 2022/02/07