令和4年の幕が開けました。今年、社会はどのように変化していくのでしょうか。その社会の一員として生きる自分の人生には何が待っているのでしょうか。さて今、この文章を読んであなたは明るい気持ちになりましたか? 暗い気持ちになりましたか?
明るい気持ちならば、社会的な変化を自分にとってポジティブな現象としてとらえる力があるので何も心配はいりません。でも暗い気持ちだったら、社会がどうなっていくのかとおびえる前に「何があっても私が私を幸せにする。大丈夫!」という意識を強く持ちましょう。
なぜなら、この世は自分の意識が自分の現実を創り出し、その集積が個々の人生として表れる仕組みになっているからです。「そう言われても、特に今は世界の情勢がこんなだから…」と思いますか?
じつは社会も同じ仕組みでできています。恐怖心を募らせておびえる私たちの集合意識が、不安でたまらない社会を存続させているんですよ。だからこれからは、他者に依存せず、一人一人が意識を高めていくことで愛と希望に満ちた人生と社会を築いていきましょう。
今日は高浜虚子の俳句、『去年今年 貫く棒のようなもの』(こぞことし つらぬくぼうのようなもの)をご紹介します。
『去年今年』は、「一夜にして去年と今年が入れ替わること、その感慨」。『貫く棒のようなもの』は、「一夜にして去年と今年が入れ替わる事実を、貫く棒と表現した」という解釈と、「一夜にして去年と今年が入れ替わろうとも(何があろうとも)、自分の胸には確固たる棒(信念)がある」という解釈があります。
私は後者の「信念という棒が自分と人生を貫いている」という表現に感動しました。まるで作者に、「そんな棒を持たんかい!」と叱咤激励されたような気がして、思わず「私自身を貫くメンタルな棒は何か?」と自問したほどです。ぜひあなたも自分のこととして考えてみてください。
メンタルな棒とは、「これだけは譲れない、これを妥協したら私が私じゃなくなっちゃう」という強い信念であり、「これを貫きたい、これを大切にして生きていきたい」という熱い思いのこと。
それを意識して人生を送るだけで、引き寄せる出会いや物事がまるで違ってきます。漠然と生きるのは本当にもったいない。自分の現実は自分の意識の表れですから、人生の方向性を決めるメンタルな棒をここでしっかり立てましょう。
私は改めて「自分の“誠”を貫く」という棒を立てました。私の誠は、真実であり、愛です。真実とは宇宙の真理・・・自分の意識が自分の現実を創り出し、その集積が人生として表れることも、自分が愛から生まれ、愛を知り、ふたたび愛に還っていく形を超えた存在であることもそうです。
世の中を見渡せば不安の種は尽きませんが、何か聞いて心が揺れても、自分を貫く棒に意識を戻せば大丈夫です。そうして令和4年を元気に生きていきましょう!