エッセイ

Vol.06

自分を知ることがすべてのはじまり

Vol.06 自分を知ることがすべてのはじまり

「自分をもっと認めてほしい」と思う人は大勢いますが、「自分をもっと認めてあげたい」と思う人は意外に少ないような気がします。前者と後者、あなたの心にはどちらの思いがより強くありますか?

 一般に私たちは、「自分を認めてもらえれば、大切なものを得られる」と考えているようです。大切なものとは、満足感や幸福感、あるいは自信。人によっては優越感かもしれません。

 何か思い当たったら、自分の“認めてほしい思いの裏にある感情”を探ってみてください。認めてもらえないとどんな気持ちになりますか? もしそれが「満たされない」「幸せじゃない」「自信を持てない」「劣等感に苛まれる」といった重たい感情だったら、正体は恐れ。

 この恐れから解放されたい気持ちが本音なら、「もっと認めてほしい」とほかの人に頼っていると、大切なもの(満足感や幸福感)を得るという最終目的が“人任せ”になってしまいます。

 そんな大事なことを人任せにすれば、焦りや苛立ちがついて回るのは当たり前なんですね。だってまわりの人は、あなたを満たすために存在しているわけではないから。ほんとは、みんな自分のことで精一杯だからです。

 それを踏まえて、「自分が自分のことをもっと認めてあげよう」と素直に思い直しましょう。心というものは、自分が与えた称賛も、人が与えた称賛と同じように喜びます。心は真実の愛に触れるだけで、自然に満ち足りるようになっているんです。

 うまくいったときはもちろん、うまくいかなかったときこそ、「がんばったね、惜しかったね」とそれまでの自分を認めてあげて。壁にぶち当たったら、「キツイ体験を乗り切ろうとしている自分はエライ!」と踏ん張っている自分を認めてあげて。

 そのときは「どうしてこんな目に遭うの?」とわけがわからなくても、もしかしたら、その先の景色を味わうという魂の計画があって引き寄せた体験かもしれないから。自分の身に起きたことはすべて認める!という姿勢を貫いてください。

 そうやって常に、どんな状態の自分も認めていくと、人生の流れが変わっていきます。その結果、きっと自分の正体が見えてくるでしょう。自分は感情でもない、思考でもない、肉体でもない、それを超えた存在なのだとわかってくると、恐れから解き放たれてほかの人に振り回されなくなりますよ。

 先人の残した言葉が、安楽に生きる道を教えてくれます。「汝自身を知れ」(古代ギリシャの格言)、「仏道を習うというは自己を習うなり」(道元禅師)、「神の王国を探しなさい。神の王国はあなたがたのなかにある」(イエス・キリスト)等々。

 自身を知る(習う)と、自分を認められるようになります。そして、自分の内にあるものが現実に反映されることを知ると、自分の内に神の王国もあるとわかるでしょう。自分とは、そんなすばらしい存在なのです。



ゆりりんのブログ『ありのまま、なるがまま』

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Last Updated: 2021/06/14