覚醒する高齢者
人生には、曲がり角がいくつもある。
好きな人にふられたり、
急に仕事をやめさせられたり、
予想もしなかった病におそわれたり、
親の介護がのしかかってきたり……
その度に、天を仰ぎ、
今にも折れそうな心を抱きかかえて、
ひとつずつ、角を曲がってきたんだよね。
そして今、
「思い切って曲がれば、きっとなんとかなるから」
と、後輩の背中をそっと押す。
「人生ってプラマイゼロ、ほんとうまくできてるのョ」
と、つらい体験を笑い話に変えて語る。
人の痛みが、手に取るようにわかる歳になった
中高年の仲間たち。
もう、生きていてくれるだけで、ありがとう〜!
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この時代に生まれ、ずっと一緒に歩んできた仲間たちにエールを送りたくて、『中高年にラブコール!』と題して今年はポエムとエッセイをお届けしました。このシリーズは今回で終了です。
今、時代は、だれも想像することができなかった新たな流れをしたがえて、悠々と進んでいるように見えます。私たちのライフスタイルを半ば強制的に塗り替えながら、まるで新たな境地≠ヨ誘っているかのように見受けられます。
人間の価値観は、出来事や人生経験によって移り変わっていきますが、それを成長と呼ぶなら、成長するためのハードルとしてあらわれる苦難を乗り越えながらみんな生きていくわけです。
そんな人生を少し別の角度から眺めてみると、「肉体はとうに下り坂にさしかかっているのに、精神はここへきてますます上り調子!」という感じがしませんか? 病気や災難といった不本意な出来事に出くわしても、若いときほど慌てふためかなくなっている自分がいませんか?
私たちはさまざまな体験を肥やしにして達観していく心≠育てているのです。伊達に年齢を重ねているわけではないことに、もっと自信を持ちましょう。
達観なんてまだまだ…と思いますか? 達観とか悟りと聞くと、仏教の世界のことだと思うかもしれませんが、悟れば特別な人生になるわけではありません。いくら達観しても、人生には困難が起こります。何も起きなくなったら成長が止まってしまいますから。ただ、何が起きても心が患わされなくなるだけです。
大事なことは、「人生に何が起きても、生きることをどのくらいおもしろがって笑顔で過ごせるか」だと思います。かの有名な俳人であり歌人の正岡子規は、こんな言葉を残しています。
―― 悟りといふ事は 如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は 如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた ――と。
「如何なる場合にも平気で生きて居る」という地平に、今、時代が、人間の精神を誘っているかのように感じます。世界各地のゆらぎはまだしばらく続きそうですが、だからこそ、ひとりひとりが心の軸をしっかり立てて、大いなる成長を遂げましょう!