続・中高年にラブコール!
中高年、讃歌
中高年のシンボルは、
老眼鏡。
中年太り。
もの忘れ。
それが自分のシンボルになったら、
ぼやかないで、笑っちゃお〜!
今の自分を受け入れると、
中高年のシンボルにも、しだいに愛着を覚えるもの。
老眼鏡は、チャーミングなアクセサリー!
中年太りは、未知との遭遇!
もの忘れは、「ご愛嬌!」ってね。
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沖縄にきてほどなく、FMラジオでおしゃべりする機会がありました。なんと40年振りの生放送出演! 友人がパーソナリティということもあって、なんでも話したもの勝ちの自由さと、心地よい緊張感を満喫して、私のワクワク感は全開でした。
その夜、ふと自分の原風景を思い出しました。地元、中部日本放送の局アナになったのは、深夜放送をやりたかったからだった…と。
当時は絵にかいたような男性中心社会で、「女性の会社勤めは結婚までの腰かけ」という風潮があり、それじゃつまらないと思っていた私は、「女性が対等に働けて、20歳の小娘でも通用する仕事はないものか?」と考えました。
そのときひらめいたのが、ラジオのパーソナリティ。高校生のときに聞いていた深夜放送で、「若いDJが、中高生を相手に思いのたけを語る世界」にあこがれていたことを思い出したのです。
局アナ試験に受かってはじめてラジオ番組を持ったときは、うれしくて舞い上がりました。中高生のリスナーが私につけたニックネームはゴッドねーちゃん=B大ヒットしたアメリカ映画『ゴッドファーザー』にちなんで頼りになるアネゴ≠ニいう意味でつけたようです。
ゴッドねーちゃんには、今でも忘れられないエピソードがあります。「もう死にたい!」とつづったハガキを受け取った夜、私はその少年に向かって「死んだら何もできないよ!」と血相を変えてしゃべりまくったのです。一週間後、「あんなにボクのことを一生懸命思ってくれる人がいたと感激しました。もう死ぬなんて言わないから安心して」というはがきが届き、私はそれを握りしめて泣きました。
そのとき、「懸命に想いを伝えることで人を元気づけられるなら、それを自分の一生の仕事にしたい」と心の底から思ったのです。ゴッドねーちゃんは20代前半、今振り返れば気恥ずかしくなるほど青かったけれど、自身が通ってきた道だからこそ、中高生と真正面から向き合えたのでしょう。
その後、30代で心理カウンセラーになり、40代からは作家としてメッセージをつづりはじめ、50冊にのぼる本を出版しました。そして、60代で沖縄にやってきて、「私はこれから中高年の星になる。ものすごく小さな光だけど、出会った人の心を温かくする光になる。ゴッドねーちゃん、いえ、今度はゴッドオバア?になるぞ〜!」と思ったわけです。
もし、私が放った言葉から小さな光が弾けて、それを受け取った人の胸の奥がキラキラ輝きはじめたら……そして、なんとなく勇気がわいてきたとか、元気になって笑顔がこぼれたとか……そんなことが起きたらどんなに素敵だろうってね。
そんな気持ちでエッセイを書いています。"中高年にラブコール"まだまだ続きますよ。