わたしは、いつ死ぬんだろう…?
わたしの人生、どうなって終わるんだろう…?
そんなことを考えはじめたら、中高年!
若いときのジレンマは、
自分はどうして生まれてきたのか?
自分はなんのために生きているのか?
それが皆目わからないことだった。
けれど、いつのまにか歳を重ねて……
不思議なことに、
わからないことはわからないままでいい。
ただ、自分が生まれてきたことを、素直に喜びたい。
そう思うようになった。
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人生を折り返したら、熟年層の仲間入り。「熟年」っていい響きだなと思っていたら、世間では45歳から64歳を「中高年」、65歳以上は「高齢者」と呼ぶという。3か月前、私は高齢者枠に組み込まれて…やっぱりショック!
でもね、まだまだ捨てたもんじゃないですよ。若いときに比べたら、確かに体力・記憶力・根気は衰えたけれど、それに代わるものが冴えてきたように感じるのです。
それは、経験と知恵と直観力。それによって若いときはわからなかったことが、直観的に理解できるようになったこともたくさんあります。
もしもあなたが中高年世代で、年々失っていくものをなげいて過ごしているとしたら、気持ちが萎えていくのは当たり前。それをやめて、この歳までがんばってきたからこそ手にできたものを見据えて、もっと愉快に健やかに生きていこうではありませんか。
私は還暦を過ぎたころから、自分が積み上げたものを保持したいという気持ちが強まって、知らないうちに”守り”の態勢になっていました。すると、みるみる人生が色あせて見えて急につまらなくなったんです。そこで、自分の心に問いかけました。
「つまらないのは人のせいじゃないよね。じゃ……どうしたい?」
即答したのは頭でした。「これまで積み上げたものを守って生きていけばいい。無難がいちばんだし……」と言い終わらないうちに、心が叫びました。
「いやだー!このまま終わりたくないっ!!」
この問答は、【自分はどうすべきか】と【自分はどうしたいか】の違いです。そのときはっきり『私、もっとときめきたい……』という心の声を聴きました。
もしかしたら、熟年世代がそっと胸に秘めている願いは、ふたたびときめいて生きることかもしれませんね。
かといって、今さら職を変えるのはハードルが高い。恋愛に燃えることはさらにハードルが高い。大富豪になることは宝くじでも当たらない限り無理……となると、人に頼らなくても自分の意志でできることは何かと考えはじめます。あなただったら何をどうするでしょうか。
私は、「よし、住みたいところに住もう。沖縄に引っ越す!」と決めたのです。
当時は、長野県の黒姫山のふもとに”終の棲家”を建てて暮らしていました。春夏は山の緑、秋は紅葉、冬は銀世界を愛でながら本を書けるなんて最高!と思っていたんですが、14年の歳月が流れたのち、「まだ終点じゃないよ」と知らされたわけです。
戸惑いながらも沖縄に移ることを考えるとワクワクして、忘れていた胸のときめきが戻ってきました。
引っ越し準備で一番たいへんだったことは心の断捨離≠ナした。「あの人にもらったものは捨てられない」「これは高かったからもったいない」など、当たり前の発想のようでも、心の重荷になる観念は捨てる。それが断捨離だと気づかされました。
そのとき、「過去の栄光も肩書きも断捨離しよう。まっさらな心で沖縄に移住したい」と思ったのです。今から1年半前の出来事です。
≪つづく≫