エッセイ

Vol.7

「普通」ってなあに?

Vol.7 「普通」ってなあに?

 親が「普通」と思っていることを、しない(できない)と子どもは叱られます。これはよくあること。心細い環境で子育てをする母親は、「普通に健康で」と願い、健康であれば「普通に賢く」と願いは尽きません。

 では、その「普通」ってなんなのでしょうか?

 大人になってからも、「こんなこともできないのか」という言葉を、上司や身内から浴びて心が傷ついたという人は大勢いると思います。私も、「こんなことも知らないのか」という言葉に何度も心をえぐられた経験があります。

「こんなこと」とは、あくまでもその人の考える「普通」です。でも……それを押し付けられた瞬間はムッとしても、自分に自信がないとたちまち劣等感に苛まれて「せめて普通でありたい」と思ってしまうものなんですね。

 そんなことも今は笑い話というならいいんですが、もし今、「人並みに…普通に…」という思いにかられて生き辛さを感じているとしたら、一度立ち止まってみましょう。あなたは知らないうちに、近くにいる力を持っただれかの「普通」に合わせようとして無理をし、心を痛めているのかもしれないから。

 たとえば、自分の上司やパートナーや互いの親が「普通」と考える価値観があるとします。彼らがそれを正当化してあなたに押し付け、ダメ出ししてくることはありませんか?そのせいで暗い気持ちになるとしたら、あなたは他の人の価値観に心を乗っ取られているのかもしれません。

 というのは、自分の価値観で物事を選択して動けば、「努力のしがいを感じる」とか「大変でも楽しい」と明るい気持ちで生きられるはず。でもいつも「普通であろう」とすると、それは人の価値観で生きようとすることなので、どうしても不完全燃焼になってしまうんですね。

 私は、平均値は出せても「普通」なんてものはない、と思っています。実際にあるのは「十人十色」だけ。だから当然、みんな違っているし、違っていていいんです。あなたは、あなたの色を大切にして生きていけばいい。

 私たちは、自分の色(キャラ・特徴・才能)に気づいて、それを尊重して表すことで、悔いなく生きられるようになっているから。また、それをしてはじめて「幸せ」を感じられるようになっているからです。

「普通」を目指すと、自分を見失います。同様に、「普通の幸せ」を追いかけると、いつまでたっても「自分の幸せ」にたどり着けなくなってしまいます。私たちは自分の色を認めて愛したとき、はじめて「幸せは最初から自分の中にあった!」と気づくのです。自分の色と一緒に、心の奥からわき出てくるものが幸せなんですよ。

 多くの人が、大なり小なり「普通であるべき」という観念に縛られて苦しんでいるように見受けられます。ぜひ、あなたが先駆けになって心を解き放ってください。

ゆりりんのブログ『ありのまま、なるがまま』

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Last Updated: 2019/07/07