あなたは子どものころ、久しぶりに親戚の人に会うと、「まあ、こんなに大きくなって」とよく驚かれませんでしたか? 体の成長≠ヘ、外目にもわかりやすくて充分育ったあとは衰えていきます。でも心の成長≠ヘ、まるで正反対。
心は、人生経験を糧にして時間をかけて成長していき、いつかは物事を達観できるようになるのです。達観とは「細部にとらわれないで物事の真理を見通せるようになる」こと。早くそうなって、余裕で人生を楽しみたいものですね。
けれども、それは一生をかけて「少しずつ成されていく」こと。だから、今あなたが世間の荒波にもまれてもがき苦しんでいるとしても、焦ることはありませんよ。自分はダメだなんて思わないで。糧になる体験は良薬のように苦いのだ、と腹をくくって現実を受け入れましょう。
というのは、「細部にとらわれない」ようになりたいと願えば、まず「細部にとらわれる」経験をする必要があるからです。心の成長はいつでも、細かいことにとらわれて絶望の苦しみを味わうところからはじまるのです。
最初は人生の冬≠迎えたように心が凍り付いて、「こんな自分でどうなるのか…」とおびえるでしょう。自らの不甲斐なさに枕をぬらしたり、人生を呪ったりするかもしれません。でも、そのうち「もうたくさん、もううんざりだ!」と心底思うときがやってきます。
そのときが、抗うことをやめて、心の中を客観的に眺めるチャンスなのです。心に渦巻く感情に「いい悪い」をつけないで、自分はいったい何を恐れ、何にとらわれていたのか、それを徹底的に掘り下げてみてください。
そうすれば、苦しみの引き金になっていた思い込み(刷り込まれた先入観)に気づいて、きっととらわれから解放されるでしょう。私たちはハッと気づいて思わず涙するような体験をたくさん積み重ねて、そのたびにこだわりを手放し、少しずつ物事の真理を見通せるようになっていくのです。
冬の寒さに耐えた樹木は、その間に養分を蓄えて、春には見事な花を咲かせますね。あなたもきびしくてつらい時期を乗り越えたら、一段とたくましくなって、人生の春を招くことができるでしょう。
今はまだ寒さに震えているかもしれませんが、目に見えないスピードでちゃんと成長しているから大丈夫。「もう寒風は吹かないで……」と恐れるのはやめて、「寒風も人生の彩り」と思って物事の変化をおもしろがるようにしませんか?
また、どんなに自分のことを気に入らなくても、自分をなじってはいけません。どんな自分も全部愛すべき自分≠ネのです。それを肝に銘じて愛を注ぎ続ければ、世間の荒波にもまれても心の中は暖かいから。
「わかった、そうする!」と顔をあげた人のもとに、必ず人生の春はやってきますよ。