世の中で一番自分にきびしいのは、自分自身かもしれませんね。終わったことを心の隅で責め続け、こんなにがんばっているのにまだ足りないとせっつくから……。もしも、自分の力不足や過ちを全部許すことができたら、どんなに心が晴れ晴れするでしょうか。
ふだんは忘れていても、ふとしたときに過去の苦々しい感情がよみがえることはありませんか? その原因を探っていくと、「私は悪いことをしてしまった」と"ある自分"を未だに許していないことがあります。
ある自分とは、両親、友人、恩師など、「大切な人の期待を裏切った」自分。たとえば、両親の期待に応えられずいい学校に入れなかった、あるいはいいところに就職できなかったことに後ろめたさ(罪の意識)を感じると、知らないうちにそれが高じて「親に素直に心を開けない」「親に反発ばかりする」といったことが起こりやすくなります。
つまり、「どうしても自分の価値を高く認められない」という人は、大切な人を裏切って傷つけたとか、目の前で困っている人を助けなかったとか……、そんな許しがたい自分を責め続けている場合が多いのです。
そうした感情を引きずっていると、「私はどうせこの程度」という気持ちが頭をもたげて、自分のことを心から応援できなくなってしまいます。
もし、少しでも思い当たる人は、許せない気持ちをそのまま放っておかないで。ふたたび嫌な感情をかみしめるのはキツイことですが、その場面に踏みとどまって「自分を許す」ことができれば、きっとこれまで味わったことのない解放感が得られるでしょう。
そのためには、「あのときは、あれが精一杯の自分だった」ということを理解し、自分のいたらなさ、非力さ、未熟さを受け止めることが重要です。そのときかかわった人に謝りたくなったときは"祈り"の中で詫びましょう。そしてその人の幸せを願いましょう。
私たちは、心の中の一番深いところ、魂のレベルではみんなつながっています。思考と体は別々でも、魂のレベルでは一丸となって成長しようとしている存在だから、全身全霊で祈りを捧げることに意味があるのです。
あなたが、自分を許すことで過去の体験を乗り越え、乗り越えられたお陰で今の自分があることに感謝できれば、かかわった人たちはみんな、心の深いところで喜んでくれるはずですよ。
人間が完璧じゃないのは、「完璧じゃない自分を許す」ことを学ぶためだと思います。なぜなら、許すことは最大の愛≠セから。自分のことを本気で許せたとき、人は真実の愛に目覚めます。そして、ほかの人たちのことも許せるようになっていくのです。
幸せを遠ざける後ろめたさはもういりません。「つらい感情は十分味わいました。私は私を許します!」と心の中で宣言しましょう。許して、許して、後ろめたさが消えれば、「この私でいいんだ!」という気持ちが自然にわいてきます。それが生きる力になるのです。