エッセイ
  (更新日:毎月7日)

Vol.12
6文字に込められた想い

Vol.12 6文字に込められた想い

 この時節は、忘年会、クリスマス会、新年会と続き、ご馳走をいただく機会が何かと増えることでしょう。それもあって、今のうちに心に留めておいてほしい言葉があります。それは『いただきます』の真意です。

 私たちは食事をするとき、普通に「いただきます」と言いますよね。"普通に"というのは、無意識に、深く考えることもなく。大多数の日本人が、習慣的に「いただきます」と言っているのではないでしょうか……?

 私もそのひとりでした。食卓での作法として"普通に"言っていました。手を合わせて「いただきます」と言うからには、作ってくれた人へのお礼の気持ちを表すのだろうと思ってはいましたが、いちいち意識することはありませんでした。

 それが一変したのは、「うちの子は給食代を払っているから、学校で『いただきます』と言う必要はない」と訴える母親が現れたとき。おどろいて言葉の成り立ちを調べてみると、目からウロコ! この6文字には、先人たちの深い想いが込められていたのです。

 その1つは、食事ができることへの感謝です。自分がそれを簡単に食べられるのは、魚や動物を獲ってくれた人、作物を育ててくれた人、新鮮に運んでくれた人、調味料を作ってくれた人、調理器具を作ってくれた人、調理に携わってくれた人などなど、数え切れない人たちのお陰です。

 そこに関わったすべての人々に対する感謝の気持ちを「いただきます」という言葉に込めたのです。現代の子どもたちにとっては、給食代を払ってくれる親への感謝も含まれるでしょう。私たちもそんな"お陰さまの心"で「いただきます」と言いませんか?

 もう1つの大切な想いは、食材への敬意です。「いただきます」は「"いのち"をいただきます」だったのです。人間は食物連鎖の頂点に立ち、いわば他のいのちを横取りして生きています。そこには太陽や雨はもちろんのこと、微生物をはじめとする無数の生き物たちが貢献しています。

 つまり私たち人間は、大自然の恵みを受けた他のエネルギーをいただくばかりの存在なんですね。先人たちはそれを当たり前とせず、自分たちを生かしてくれる他の生き物に「ありがたくいのちをいただきます」と毎回合掌して敬意を払っていたのです。

 それを知って私は恥ずかしくなりました。以来、手を合わせて心の中で『いのちを』と言ってから「いただきます!」と声に出して言うようになりました。すると、自分がいかに多くのいのちに生かされているかをヒシヒシと感じます。たとえメザシ一匹でもいのちのご馳走とうれしくなります。

 あなたも試してみてください。箸をつける前に食材を見て「いのちをいただきます」と真心で言ってみましょう。きっと、温かく幸せな心地がすると思いますよ。もしかすると、そんな喜びをかみしめることが、心にとっては最高のご馳走なのかもしれません。

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Last Updated: 2012/12/07