私たちの"幸せ"は、自分以外のだれかの存在があってはじめて感じることができるもの。なぜなら、人は知らないうちに、相手の心に映った自分を見て、自分の価値を確認するところがあるからです。
たとえば、あなたがだれかのお手伝いをしたとき、相手が「ほんと助かったぁ」と喜んでくれたらうれしいでしょう? あるいは、一生懸命作ったお料理を「おいしい、おいしい」と喜んで食べてくれたらうれしいでしょう?
これは相手が喜んでくれたからうれしい、というだけではないんですね。深層では「自分は人を喜ばせることができた」「自分は人の役に立った」と感じられたことがうれしい。それによって自分の存在価値を認めることができるからです。
逆のバージョンを考えてみるとわかりやすいでしょう。自分が一生懸命やったことがうまくできなくて、相手に喜んでもらえなかったり、必要なかったといわれら、悲しくてやりきれない気持ちになると思います。これは、うまくできなかったことが悲しいというよりは、役に立たなかった自分、存在価値を感じられない自分が悲しいのです。
私たちは、心のすみに「こんな自分だけど、いてもいい?」という不安を抱えて生きている小さな存在なのかもしれませんね。そんな自分を許して、認めて、また許して、認めて……それをくり返して、だんだん大きな存在になっていくんです。
大きいといっても、ひとりで大きくなるわけではありません。ほかの人とつながると、大きな存在としての自覚を持てるようになるのです。たとえば、チーム、家族、お客さんと自分など、ほかの人と心と心を重ねることができると、自分の心が小さな自分から飛び出して無限に広がります。
そんな体験をすると、自分以外の人の存在が、自分の価値を高めて幸せを感じさせてくれるということがわかるでしょう。こうやって私たちは、知らないうちにお互いを生かし合っているのです。
些細なことでもそう。私たちはだれかと目が合うと、ニコッとすることがありますよね。「おはよう」というときもニコッとします。あれは「あなたの存在を歓迎します」というエールの交換なんです。だから、ニコッとしたのに無視されると落ち込みます。
愛の反対は、嫌悪ではなく"無関心"。つまり、私たちは相手にやさしい関心を示すことで存在を歓迎し、相手の心に存在価値を響かせることができるのです。だから、うっかり無視してしまったなんて論外。自分ができる「人を幸せにすること」をもっと大切にしましょう。
今年は、『小さなことを大事にしよう!』と思ったんです。それは、人、モノを問わず、小さなつながりに感謝して生きるという意味。すべての幸せはそこに集約されるから。
そして、物書きである自分は、ひとりひとりの読者によって生かされているということを肌で感じています。だから、年頭に伝えたい言葉は「あなたにありがとう!」。今年も、どうぞよろしくお願いします。