「志」と聞くと、あなたはどんなイメージが浮かびますか? 志は、目標を持ってそこに向かおうとする気持ち。志すとは、そんな志を持って行動することです。あなたは今、何を志していますか?
もしも、「特に浮かばない」とか「そういうの面倒くさい」というイメージを持っているとしたら一大事です。何も志さなければ、人生における"幸せの創り手"というすばらしい仕事を放棄することになってしまうからです。
願いを現実に引き寄せるのはひとりひとりの"想い"だということは、すでに承知していると思います。私たちは自分が思ってもみない、つまり想像できないことを人生に創り出すことはできません。だから逆に、楽しい想像やうまくいくという想像で完全に心を満たすことができれば、幸せな人生を簡単に創造できるでしょう。
しかし"想い"には、「いやだ、こわい」と恐れる気持ちも自動的に含まれます。いやな体験の記憶はだれの頭にもこびりついているために、その記憶が、何かに挑もうとするとうまくいかない想像をかきたて、こわがらせてしり込みさせるのです。
人間は、失敗や間違いをいっぱいくり返して成長していくようになっていますが、その記憶に心まで縛られてしまうと、望む世界を創造できなくなってしまいます。なんだか人に振り回されてばかりいる……と感じながら生きていくしかなくなってしまいます。実際は、自分がいやな想像ばかりして、いやなことを引き寄せているんですよ。
あなたが自らの、そして人々の"幸せの創り手"でありたいと願うのなら、「志」は必要不可欠です。志を掲げることは、思いの中でも"最強の思い"を放つことにほかなりません。自分も人も幸せにする目標は大きいほどいいと思います。遠慮せず、気後れせず、デッカイ目標を掲げて最大のパワーを発揮しましょう。
私はある企業家の言葉を耳にしてとても感銘を受けました。それから、人生にデッカイ目標を掲げました。するとありがたいことに、細々したことが気にならなくなりました。その言葉を紹介しましょう。
――たとえばヒマラヤに登ろうという志の人は、富士山は容易に登れるんですね。ところが富士山に登ろうという志の人は、富士山にも苦労する。なんの志もない人は、その辺の低い山でも四苦八苦しますよ。
あなたにとってヒマラヤは何ですか? 富士山は何ですか? このたとえは仕事の目標だけでなく、人間関係の目標にも置き換えられると思います。あなたが本当に大切にしたい人とのあいだに築きあげたいものは何でしょうか……?
その辺の低い山に四苦八苦して、まわりに振り回されて人生を終えていくのは実にもったいないと思います。何を思い、何に時間を費やしても、一日は過ぎていきます。つまらないことを想像して小さなことで悩みわずらわないよう、改めて、ヒマラヤ級の「志」を立てましょう。