エッセイ
  (更新日:毎月7日)

Vol.08
「自分の価値」

Vol.08 「自分の価値」

"自分はガマンして、だれかのために何かしてあげている人"を見ると「なんて犠牲的!」と思います。でも、犠牲的な人が楽しそうに見えないのはなぜでしょうか? それはたぶん幸せじゃないからです。

 犠牲的感情で動くとき、「本当はいやなんだけど……」という気持ちが胸の奥にあります。それはガマンやムリを伴うから幸せじゃないんです。本音を言えば、つらいはず。

 もしあなたが、恋人に、友だちに、子どもに、あるいは職場でそんな『犠牲』をしていたら「私はこんなにガマンしてる」「やってあげてるのに!」という感情がわいてきます。
「その分称賛してもらえなかったらやっていられない!」という気持ちにもなるでしょう。

 でも、称賛はもらえないと思います。どことなく恩着せがましいあなたの感情を敏感に察知した相手は、素直に感謝できないからです。逆に反発して「頼んでないよ」「勝手にやってるくせに」と言うかもしれません。

 どんなにがんばったところで、犠牲は愛にはなれないのです。行為そのものは変わらないように見えても、愛と犠牲とでは動機がまるで違うのです。

 たとえば、あなたが好きな人に自分の持っているものを差し出すとき、それがやさしさでも、時間でも、お金でも、SEXでも、動機が「ただ相手を喜ばせたい」だけなら、相手と一緒に喜びを素直に分かち合えるでしょう。

 しかし犠牲の動機は「嫌われたくないから」「怒られるから」なので、あなたは素直に喜べない上に、相手が喜んでくれなければかなり傷つくでしょう。犠牲である限り、そうする側もされる側も幸せにはなれないのです。

 だれかのためを思ってしているのにつらい、むなしい、報われないという気持ちになったなら、一度"自分の価値"についてどう思っているか考えてみてください。

 心に「何もしない自分は役立たず」「何かしないと人から必要とされなくなる」といった不安を抱えていないでしょうか。「何もしない自分には価値がない」と思っている人は、それを感じたくなくて自分のことはさて置き犠牲をはじめやすいんです。

 その場合は、意識の底にある『無価値感』を払拭する必要があります。自分の価値は人から与えられるものではなく、自分が与えるもの。「私は純粋なやさしさを秘めた愛すべき存在」ということを自ら必死に認めるのです。人にそれを証明することはありません。あなたが自分を知って安心していることが一番重要なのです。

 犠牲は相手の気持ちばかりを考慮して、自分の気持ちをシカトすることなんですね。もう犠牲はやめて、自分の気持ちに忠実になりましょう。そして、どんなことなら「自分が喜んでできる」のかをしっかり把握してください。

 いつも自分が喜んでできることを率先してやるようにすれば、しだいに本来のあなたがよみがえってきます。そのあなたからは、尽きることのない"愛"が自然にあふれ出してくるでしょう。

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Last Updated: 2009/08/07