エッセイ
  (更新日:毎月7日)

Vol.04
「気を遣わずに気を利かす」

Vol.04 「気を遣わずに気を利かす」

"気を遣わずに気を利かす"これは本当にむずかしいことですよね。私にとってはいまだに大きな課題です。「気を遣う」のと「気を利かす」のとでは、行為は同じように見えても結果はまるで違ってきます。

 たとえば、知り合ったばかりの人があなたに料理を取り分けてくれるというシーンを想像してください。そこに「私って気が利くでしょう!」という雰囲気がぷんぷん漂っていたら、さらには褒め言葉を期待しているような気配だったら、あなたはどんな気持ちになるでしょうか? 

 かえって気を遣ってしまい、恐縮したり褒めそやしたり、あるいは「もう、ほっといてほしい」と思うかもしれません。いずれにしてもいい気はしないでしょう。実際にこうしたことが原因で、気ばかり遣って疲れる人間関係を生み出している人が多いのです。

 それとは対照的に、その人の動きが自然でさりげなかったら、気を利かせたという素振りがまるでなかったら、あなたは余計な気遣いをすることもなく、好印象だけが残るでしょう。そんな雰囲気をかもし出すのが"気が利く人"です。

 料理を取り分けたり荷物を持ってくれるといった些細なことから、情報を集めたり代理を務めてくれるといった手数のかかることまで、「気を遣う人」と「気を利かす人」の違いはどこにあるのでしょうか? 

 それは、『相手に余計な気を遣わせるか否か』なんです。では、相手に余計な気を遣わせないようにするにはどうすればいいのでしょうか?

 その答えは、『自分が相手に気を遣わないようにする』こと。共鳴作用といって、自分が相手に気を遣わずリラックスしていられる分、相手も同じようにリラックスしていられるからです。

 とはいっても、私たちはつい体裁をつくろおうとして緊張してしまうもの。そこで、なるべくリラックスした素の自分でいられるよう、心に染み付いた「このままの素の自分ではダメだ」という思い込みを払拭する必要があるのです。

 これまで、無理にテンションを上げて饒舌になったり、がまんして相手に合わせたり、仕切り過きてしまったり、世話を焼き過ぎてしまったりと、そうした努力をどれだけ積み重ね、どれほどのエネルギーを費やしてきたことでしょう…。 「そういう努力はもういらない、もうしなくていい」と、自分に許可を出してください。「いつだって素の自分で大丈夫なんだ」と心から思えるようになったら、あなたは気疲れから解放され、なんとも言えないやすらぎを得ることでしょう。

 私はそれからようやく無邪気に振る舞えるようになりました。素の自分で無邪気に振る舞っても、決して無遠慮にはならないから心配いりませんよ。あげっぱなしの好意さえあれば、きっと愉快に気を利かせることができると思います。

 これからは"気を遣わずに気を利かす"ことを念頭に、もっと気持ちをラクに持って、自分も楽しみながらのびのびと振る舞ってみませんか?

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Last Updated: 2009/04/07