(更新日:毎月7日)

Vol.3
「天を相手に生きる」

Vol.3 天を相手に生きる

 昔から、"how to do good"「いかに善をなすか」よりも、"how to be good"「いかに善であるか」が、人間としては大切である。という教えがあります。
「自分が何をするか」よりも、「自分は何であるか」が重要だということです。私は近年、ますます自分はどんな存在として生きるのか″ということに興味津々です。
「自分が何をするか」という場合、相手にするのは人″ですが、「自分は何であるか」という場合の相手は天″になります。では、自分を成長させるために天を相手に生きる″とはどういうことかについて考えてみましょう。

 例えば、あなたが人にやさしくしたいと思ったら、「自分がいかにやさしくするか」よりも「自分はいかにやさしい存在か」を考え、人から愛されたいと思ったら、「自分がいかに愛されるか」よりも「自分はいかに愛される存在か」を考えます。

 違いは心の中。もしあなたが、自分の生き方に対する目標を立てたとしましょう。人″に対しては、つい「いつもできるとは限らないけど、なるべく…」と自分に甘くなるところが、天″に対しては、「はい。いつでも例外なく!」とシビアにならざるを得ないと思います。

 つまり、自分と同じ人″が相手だと、「この人にはできてもあの人にはイヤ」、「今日はできてもずっとはムリ」、「認めてもらえないならやってもムダ」といった感情に振り回されがちなことが、すべてお見通しの天″が相手となると、手抜き、ごまかし、いいわけはいっさい通用しなくなります。

 だからこそ、24時間「ひたすらそうあろうと努める自分」に出会えるのです。ここに意義があるのです。そのひたむきな自分が、(まわりの人が見ていようがいまいが関係なく!)存在として、真、善、美、愛の自分を目指すから。

 結果として、当然それまでの人間関係、ならびにその自分が創り出していく人生が、真、善、美、愛あるものへと変わっていきます。それをあなたの目標にしませんか?!といいたいんですね。

 とはいうものの、実際にはじめると、たびたび感情に振り回されてままならないことも多いと思います。私もしょっちゅう自分の目標からはずれて、天にあやまりつつ反省し、また目標に向かう――ということをくり返しています。

 でもありがたいことは、天は人と違って「それじゃ反省が足りない」とか「そんな調子で大丈夫なのか」なんていわずに、毎日チャンスをくれ、必ず見ていてくれることです。

 もうひとつありがたいことは、天″の反応には例外がなく、明快ということ。自分が「ちゃんとした」ことも「ちゃんとしなかった」ことも、早かれ遅かれ人生に反映して伝えてくれる…本人にわかるように気づかせてくれることです。

 だから、安心して、徹底的に自分に挑むことができるんです。もし、あなたが真剣に、真摯に「天を相手に、真っ正直に生きていく」と決意するなら、そのときからその瞬間、その瞬間の最高の自分″を生きられるようになりますよ。

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Last Updated: 2007/03/07