(更新日:毎月7日)

Vol.2
「幸せな自分」

Vol.2 幸せな自分

 私はずっと「やすらぎがほしい」「幸せになりたい」と思って生きてきましたが、それを追いかけるうちに自分の目標が変わってきました。今は「嵐に巻き込まれても立っていられる」「苦悩をつきぬけて前に進める」ことを目指しています。

 そのわけをお話しましょう。"やすらぎと幸せ"は目に見えない漠然としたものです。あまりにそれを意識しすぎると、反動で欲求不満になります。しだいに"不安と怒り"にとり込まれて、逆に「やすらげない自分」や「幸せを味わえない自分」を作り出してしまいます。

 おそらく心の中で"やすらぎと幸せ"を特別なものと思ってしまうからでしょう。でもそれは、特別なものでも得がたい状態でもなく、幼児がそうであるように、もともと心にあるもの。本来の私たちの状態なのです。

 "やすらぎと幸せ"をかき乱す"不安や怒り"は、他人と比べてコンプレックスや欲求不満を抱くことから生まれます。具体的には、人間関係、容姿、仕事の能力に対する悩みなど。さらに人生には、不慮の事故や災難で降りかかってくる苦しみや悲しみもあります。

 残念ながら、こうした"不安や怒り"の嵐は、生きている以上は避けがたいものでしょう。しかし、この嵐に巻き込まれるから私たちは成長できるんですね。そして、自分は何のために生きていくのか、「本当の幸せ」が何かを理解していくんだと思います。

 私が、"やすらぎや幸せ"をぶちこわす"不安や怒り"の嵐に立ち向かう強さと、変化を恐れない向上心を身につけることがもっとも大切だと考えるようになったのは、それに打ち勝てば「平常心」を保てることがわかったからです。

 平常とは、いつもと同じ自然な自分。自然とは、天然の本来の自分のことです。美しいものを美しいと感じ、ただ生かされていることを、ありがたい、幸せと感じる自分です。

 ところで、私はたびたび、『その人が幸せか不幸せかは、出来事で決まるのではなく、出来事をどうとらえるかという心の持ち方で決まる』という話をしますが、それは『出来事そのものは中立』ということをいいたいからです。

 ひとつの出来事が、ある人には○で、ある人には×という場合はいくらでもあります。 また同じ出来事が、過去には×だったけれど、今なら○と感じる場合もあるでしょう。

 つまり、それぞれの出来事にいい悪いがあるのではなく、それに対して私たちがいい悪いという価値観を持って、毎日それに振り回されていることに気づいてほしいのです。

 あなたは、自分がいやな出来事に巻き込まれるたびに、そうなった自分に×をつけて悩んでいませんか? 自分を責めて落ち込んでいませんか?  これからは、あなたの身にどんないやなことが降りかかっても、「苦悩をつきぬけて成長しようとする自分」をなくさないことに心を砕いて、その自分に◎をつけて生きていってくださいね。 

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Last Updated: 2007/02/07