苦しくてたまらないと「いっそ死んでしまいたい」という思いが心をよぎることがあります。私も経験しました。カウンセリングコーナーにも「死にたい」という言葉が踊ることがありますが、それは私には、「もっと幸せに生きたい!」という心の叫びに聞こえます。
だれかに「死にたい」と打ち明けるとき、本心は「なんとかしたいのに思うようにならない。もう方法がわからない。このつらさをわかってほしい。死にたいくらい苦しいから助けて!」と訴えています。
もし、あなたがふと死にたいと思ったら、希望の光りが見出せなくて必死にもがいている自分の心を抱きしめてください。「私なんて生きていたって仕方がない」と感じるのは、「堂々と生きたいのに自分の価値が見つからない」と泣いている証拠です。そのまま沈み込んで自分をどんどん追い詰めないようにしてくださいね。
そんなときは、苦痛な感情を吐き出すことに専念しましょう。声をあげてオイオイ泣く。思いっきり枕やクッションをたたく。大声で罵詈雑言を叫ぶ。…これらを泣き疲れてクッタリするまで続けてみて。
心の底に巣食っている重たいエネルギー(=感情)を宇宙に返すことができれば、心が空っぽになってほんのり希望の光りが差し込んでくるから。きっと「もうちょっと生きてみよう」「もう少し違うことをしてみようか」と考えられるようになるでしょう。
私たちは、すべての物事を"闇"と"光り"の両面から眺めることができます。闇が悪いというのではなく(それがなければ光りは存在できないから)、『心をへこませて気力を奪うものの見方』が闇で、『希望を与えてやる気をわかせるものの見方』が光りです。
天災、人災、自分の人生、自分という人間も、すべて闇と光りを秘めた"物事"なんです。あなたはそれをどっちから眺めますか? 闇の面から眺め、怒り、がっかりしながら生きますか? それとも光りの面から眺め、許し、感謝しながら生きますか?
これが「運を逃す」人と「運をつかむ」人との違いです。人生に幸せをもたらす方法は、"なにがなんでも物事を光りの面から眺め続けること"に尽きるのです。
この世に生を受けた私たちは、全員が「いずれ死ぬ」という定めを背負って生きています。言い換えれば、「死ぬまでにありったけの経験をしよう」と決めて生まれたんですね。あなたになることを選んだ命に、制限時間内にいろんな経験をさせてあげましょうよ。
今のあなたに乗り越えられないことは、あなたの人生には起こりません。「自分に降りかかることは全部受け入れて、びびらないで喜怒哀楽を味わう」と腹をくくれば、もっと気持ちが楽になると思います。
心の底に潜むエネルギーが人生というキャンバスに描き出す作品を、あなたはこの先も体験していきます。ありとあらゆる物事を光りの面から眺めて、一日も早く"心の楽園"に暮らしましょう。