私たちが生きていくということは、「どんな目にあっても人生を丸ごと楽しむ」ということを学ぶことかもしれません。自分に何が起こっても、体験することをすべて楽しんで生きていけたならどんなにしあわせでしょうか。
「心がはずむようなこと」は楽しいけれど、「心が落ち込むようなこと」をどうやって楽しむかが問題ですよね。
心が怒りや悲しみに支配されないように、落ち込んだら「どうやって気持ちを切り替えるか」。それは「どうやってその出来事を乗り越えるか」とイコールです。
まず、"感情"は"考え"ではないということ知ってください。"感情"は一過性のエネルギーです。それを引っつかんで、執念深くああでもないこうでもないと"考え"に結び付け、人間は苦しみのストーリーを作り出してしまうのです。
どの感情も、縁に触れれば自然にわき起こるものだから、いやな感情を抱いたと自分を責める必要はありません。ただし「落ち込んでいる自分」や、ムカついたときに「怒っている自分」を、静かに見つめる"もうひとりの自分"がいればいいんですね。
"もうひとりの自分"とは、あなたが生きているあいだ、さまざまな感情を味わうことを承知している自分です。どんな感情にも、それを味わったあなたがどうするかを見守り、ひらめきを送って助けようとします。
あなたが苦しんでいるとき、ふたりの自分が葛藤していませんか?ひとりは「あいつのせいだ」と怒り、うらみ、後悔します。これが自我。もうひとりは、「やっと気づけた」と感謝し、反省し、すべてを受け入れようとします。
あなたは、何が何でも後者の自分といっしょにいてください。"もうひとりの自分"からのひらめきにしたがって。それが"自分を愛する"ということなのです。
いやな感情は、うまくやり過ごすたびにあなたを成長させてくれます。「自分が成長し、人間としてのスケールが大きくなっていくことが何より楽しい」という考えを根底に持てば、いつでもいやな感情を"自分を磨く研磨剤"に変えられます。
この際、あなたのなかにある「思いがけない体験を恐れる気持ち」も、「エゴを満たすことだけが楽しいという考え」も引き下げましょう。邪魔ものを憎んだり抵抗したりして生きていくのはとても疲れます。
それより思いがけない体験をおもしろがって、人を喜ばせることを楽しみの一つにして、自分の成長を人生の一大目標にかかげてしまうんです。すると、いやな目にあっても、そのことをうらんでネガティブな思いを増幅させなくなると思います。
どんな目にあっても人生を丸ごと楽しむには、「自分にとってプラスのことしか起こらない。私はいつも応援されている」という気持ちを持ち続けることですよ。