10代の女の子からメールが届きました。あなたはこれについてどう思いますか?
友人を励ましたくて、「乗り越えられない試練は、神様は与えないんだよ。きっと乗り越えられる!」といったら、「じゃ、どうして自殺する人がいるの?」と突っ込まれました。わからなくなったので教えてください。
答えはシンプルです。「乗り越えられない試練は、神様は与えない。きっと乗り越えられる」と信じる人は、試練を乗り越えて成長していけます。だから、もっと大きな幸せをつかむことができます。
でも、自殺する人は、「乗り越えられない試練は、神様は与えない」ということを信じないか、そのことをまだ知らないから、追いつめられると「もうダメだ」「この現実から逃げたい」という感情に負けてしまうんです。
両者の違いは、"人智を超えたもの"への信仰があるかないかだと思います。それを「神様」と呼んでも、「大いなるもの」「宇宙」「天」「サムシンググレード」「真我」…と呼んでもいいんですが、他のものと力を競い合う時限にはないものです。
それは、雪の結晶から人体の不思議まで、私たちが"神秘"を感じるものをつかさどり、あなたが眠っているあいだも心臓を動かし、すべてを生かし続けている"オオモト"の存在です。
この存在に敬意を払って生きていくことは、とても大切です。そうでないと、苦境に立ったとき乗り越える勇気がわいてこなくなるから。また、幸福に必要な「感謝」や「謙虚さ」をなくしてごう慢になるからです。
人間が神への信仰心をなくしたら、なんのために生きていくのかわからなくなると思います。もし、あなたに少しでも迷いが生まれたなら、「自分が生きている不思議」を突き詰めてみましょう。「いのちの営み」を神秘のまなこで見つめましょう。
すると自然に、"人智を超えたもの"への畏敬の念が芽生えてくるはず。それは、与えられた"いのち"の重さを知ることでもあるのです。
それぞれの魂は、無限の世界から「有限の世界」にやってきて、また無限の世界に還っていきます。もともとが無限の魂は、「有限の世界」でしか進化できないから、人間に宿って「有限の人生」を体験するんですね。
魂は、その人間が"愛"に目覚めれば、つまり"愛じゃないもの"を超える力を養えば進化できます。だから私たちは、自分が「愛の存在である」ことを悟るために、愛以外の感情をなめ尽くして学んでいくのです。
その過程で背負う苦しみが「試練」ですが、私はこう思います。神様が与えるのは、「試練という名の"ギフト"」だと。それは魂がめざしている「人間が飛躍的に成長する"チャンス"」 に他ならないからです。
あなたは、まず「自分を愛して」自分を幸せにし、次に幸せな自分が「人を愛して」人を幸せにするために、この世に生まれてきたのです。