生きていくということは、さまざまな出来事に出会うということです。当然のように、「そうあってほしくないこと」にもたくさん出くわします。そのたびに、「どうしたら不幸にならないで、幸福でいられるか?」と考えますよね。
実際に、財産や地位があっても競争に明け暮れて、「まだ足りない。まだ安心できない」と不安にかられて生きている人たちもいれば、静かに質素に日々感謝に包まれて、平安に暮らしている人たちもいます。
あなたは、今どっちの体験をしていますか?
あなたが幸福かどうかは、あなたの心が欲求不満か、満ち足りているかで決まります。あなたが魅力的かどうかは、あなたの心が貧しいか、豊かかで決まります。
私たちの心は、欲求不満がつのるとすさんできます。すると、ひがみっぽくなって、まっすぐ生きるのがしんどくなってきます。でも、その延長上に幸福な人生はありません。
私は若いとき、「人生でなにかを成し遂げなくてはならない」と思ってストレスを抱えていましたが、それはある種のとらわれで、真剣に生きた結果の話だと気がつきました。
人生は「特別にいいことがあれば幸福」「人よりいい思いができれば幸福」なのは当然です。むしろ、いやなことに巻き込まれたり散々な目にあっても、「それでも私はしあわせ!」といえる自分に価値があると思うようになったのです。
だから今は、「どんなときもしあわせ」「なにもなくてもしあわせ」という自分作りに懸命です。そのためにはどうすればいいか…と真剣に考えてわかったことがあります。
それは、今自分が置かれた場所で「ぜひそこにいてほしい」と思われる存在になることです。そのポジションが、恋人でも、妻でも、親友でも、OLでも管理職でもおなじこと。
自分がなすべきこと″をすれば、自然に「ぜひそこにいてほしい」と思われます。なずべきこと″とは職務という意味じゃなくて、その場所で心から「ありがたい」と感じることを探し出すことなのです。
というのは、「ありがたい」と感じれば、どんなにつらいときも「感謝の気持ち」がわいてきて、あらゆる欲求不満を消し去ってくれます。
結果として、心がすさまないので、人に与えたり人を思いやる余裕をなくさないで済むんですね。まわりは、そこに惹かれるんです。
もし、あなたに幸福感が足りなかったら、もし、まわりが認めてくれなかったら、その分、感謝の心が足りないのかもしれません。
自分に降りかかかる不都合は、すべて「感謝の器」を大きくするためと考えましょう。そうすれば、人生で被害者に陥ることはありません。
いつもしあわせでいるヒケツは、どんな状態に置かれても「ありがたい自分」で生きていくこと。それに尽きると思います。