(更新日:毎月7日)

Vol.4
悲しいことは美しい

Vol.4 悲しいことは美しい

 生きていれば、さまざまな悲しみに出会います。例えば、大切な人を失ったり、夢を踏みにじられたり、心を傷つけられたりというように。そんなとき、悲しいという気持ちが、ただ純粋に悲しいだけならいいんです。

 あなたが、ただ悲しむだけなら問題はありません。純粋な悲しみはやさしさの裏返しだから。それだけなら自然に、時間とともに悲しみを乗り越えていくことができるでしょう。

 でも、その悲しみに「重たい感情」が加わると、悲しみは「苦しみ」に一変してしまいます。いったん苦しみに姿を変えると、それを手放すのはとても難しくなります。

 悲しみを、苦しみに変えてしまうもの。それが「嫉妬」「後悔」「憎悪」「怨念」です。それらは、あなたが「悲しい思いをするのは誰のせい?」と腹立たしく思う気持ちから生まれてきます。

 心は弱っていると、悲しみよりもずっと重たくて荒々しい感情に支配されやすくなって、その結果として、あなたは相手を憎んで恨みつらみを抱き、後悔を嘆いて明け暮れるようになります。こんなことは、なんとしても避けたいですよね。

 そうでなければ、苦しみあぐねた上に、どうして自分はこうなるのかと自己嫌悪に陥って、二重の苦しみを背負いかねません。さらに、あなたは憎まなくてもいい相手を憎むことで、自分のもっとも大切なものを損なっていきます。

 それは「運気を下げる」こと。というのは、あなたが心身に充満させて放っているバイブレーションは、ブーメランのように宇宙をめぐって返ってくるから。つまり、私たちは今自分の心がまき散らしたものを、将来なんらかの形で受け取るのです。

 次に、重たい感情に取り込まれてしまう理由ですが、それは最初に悲しい目にあったときに悲しみと対立するため。悲しい思いから逃れようとして、どうしてこうなったのかと思いをめぐらせて、無意識のうちに悲しみ以外の感情を探すせいなんです。

 それはもう、起きてしまったことです。その悲しみを苦しみに変えないことのほうが、はるかに大事だということを覚えておいてください。

 悲しいという感情がわき起こるのは、涙が美しいのと同じように、とても自然で美しい生きている証し″だと私は思います。

 悲しみは、ある種の感動といえるかもしれません。悲しみのまっただ中に身を置いていると、心が洗われていくような気さえします。

 悲しいと感じたとき、それを「ただ悲しみとして」しっかり抱きとめられれば、夕日を見てもドラマを見ても純粋に泣けます。そのほうが、より素直に感性の世界を楽しめるでしょう。

 悲しいことは、決して悪いことではありません。だから、悲しむことをこわがらないで。心が悲しみに揺れたら、何も考えないでひたすら泣いたらいいんです。

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Last Updated: 2005/4/07

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