(更新日:毎月7日)

Vol.10
心の自由

Vol.10 心の自由

 以前の私は、人生の目的をいっぱい立てて、それに向かってガマンする日々を送っていました。「自分に不都合なことは悪いこと」という価値観でがんじがらめになって、都合の悪いことが起これば、すぐにイライラしていました。

 人生は予想外だからおもしろいのに、それを楽しむことができなかったために、いつも他人に振りまわされているような気がして、不満や不安が消えなかったのです。

 被害を受けたくないという思いから、他の人の動きばかり気にして暮らす…それは苦しいし、つらくて情けないことでした。こうした「心の不自由」なあるがままを認められない状態が長く続きました。

 でも今、そんな半生をふり返ると、「自分が生涯をかけたいと思う仕事に目覚めて突き進むように、あらゆる体験は用意されていた」という気がしてなりません。

 もし、自分があれほど傷つかなかったら、どうすれば救われるんだろうと苦悩しなかったら…心の研究にのめり込むことはなかったと思うからです。

 本当に、人生に無駄な体験はない。しあわせ・ふしあわせを決めているのは出来事じゃなくて、それをどうとらえるかという「心の目」だということを改めて感じます。その目を養うことが、「私たちの生きる目標」だといってもいいくらい。

 あなたは今、仕事でも趣味でも恋愛でも、自分がのめり込んでいるものが何かありますか?あなたがおもしろがっているのは、その対象というより、それにかかわってワクワクしている自分ではないでしょうか?

 集合写真を見ると、だれもが最初に自分を探して映り具合を気にするように、だれにとっても「自分」ほど気になる存在はありません。こんなに自分のことが気がかりなのに、よくわからないからドギマギして生きているんです。

 心がやすらぐのは、物理的な安定よりも、自分のことがわかっているとき。だから、常に自分のことがわかっている人は、どんな出来事にあっても落ち着きはらって不幸になることがありません。

 さあ、何かにのめり込んでいる"あなた自身"を、ねばり強く観察しましょう。細かな心のアップダウンを見逃さないで、アップダウンの原因をさぐっていくのです。このとき大事なことは理解することで、けして自分を責めることではありません。

「なぜ?」と問いかければ、すぐいいわけしたり非難をはじめる表層の自分にごまかされないで、その奥にいる「何事からも学べてありがたがる愛の自分」に会ってください。

 自分を踏み台にして人間というものへの理解を深めていければ、「心の目」を養うことができます。それが、あるがままを認める「心の自由」を得る方法だと思います。

 私は「自分を知ろう」と必死になって、結果的に「共通する心の仕組み」を理解しました。個は全体につながっていて、もともとひとつなんですね。そこに、何千年も変わらない真理が横たわっていると感じます。

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Last Updated: 2004/10/07

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