「自分を好きになりたくても、なれない…」という悩みを打ち明けられることがよくあります。かつては、私もそれで随分苦しみました。
自分を好きになりたいのは、自分に満足して自信を持って生きたいからですよね。そう、もっと幸せになりたいから。
今は、こう思います。その人が幸せに生きるのに必要なものは、全部その人が持って生まれてきている。だけど、まだその活かし方がわからないうちは苦しいんだって。
いい方を変えれば、自分に備わった特徴や個性に満足して活かせるようになることが、それぞれの生きる目的。だからそれができると、幸せがはじまると。
さらに別のいうと、自分を育てあけるのに「最適な条件」を、それぞれが選んで生まれてきている。その条件は個性と呼ばれる容姿や性格に限らず、特徴としてあげられる家庭環境や体の不自由な部分も含めて、「自分」の引っさげているものすべて…。
この条件は人によって違うけれど、幸せに優劣はありません。つまり幸せを感じる心は平等で、どんな条件下でも、みんなが幸せを甘受できるのです。
では、大きな違いは何かということになりますが、それが「他人と比べて不足を感じ、文句をいう個々のクセ」です。
このクセを試行錯誤、悪戦苦闘しながら修正していって、「今が最高!これで満足!自分が大好き!」といえる自分になることが人生の大仕事というわけです。
比較社会でもみくちゃにされて染み付いた「比較クセ」を、なんとしても取り除きましょう。人と比べて、「私はタカが知れてる」と決めつけるコチコチ頭を、必死で解かしましょう。
日常、「あっ、いま比べてる!」と気づいたら、そのたびに、「もう、このクセは手放す」と自分にいいきかせて発想をかえます。文句をエールに切り替えていくんです。
考えてみたら、一生涯つき合う人間は自分しかいないんだから、とことん応援してラクにしてあげなくちゃ…。私も「自分が自分を信じられなかったら、いったいだれが自分を信じて励ますんだ」って涙をふきふき踏ん張りました。
これはありのままの自分を受け入れていく作業なので、根気は必要だけど、大いにやりがいがあると思います。
私たちの幸せは、人より勝っているかどうかで決まるのではなく、自分にあるものをどのくらい慈しんで生きられるかどうかで決まります。
人といっさい比べなかったら、自然に自分のことをいとしく感じて好きになっていきます。すると、自分と同じようにして生きている他の人たちのことも応援したくなるんですね。
そこに、もうひとまわり大きな「一体感」という幸せを見つけるのです。