(更新日:毎月7日)

Vol.5
「期待」という言葉

 私が愛について語るとき、あなたの中の「期待」は"見返りをあてにするエゴの心"ですよ。それに気づいて、「応援」という"与えっぱなしの愛の心"に切り替えましょう。という表現をよくします。

 すると中には、「好きな人に期待しないなんてムリ」という人がいます。「だって、恋人に期待して叶えばすごく嬉しいし、恋人から期待されないのも淋しい」と。そこで、今回はその解説。

 辞書で「期待」を引くと、【あてにして、心の中で待ち受けること】とあります。

 なのに、なんとなくきれいな響きがあるせいでしょうか、期待という言葉を正当化して、正体が我欲だとは気がつかないのです。それだと、愛は育てられません。

 恋人に「いい思いをさせて」と願うのは、期待だからこそ、あてがはずれればムカついて相手を責めたくなるんですね。また逆に、「あなたにはもう期待しない!」といわれて『関心がないといわれたようで淋しい』と思う前に、相手の本音を考えましょう。

 「これからはただ愛するヮ」だったらいいんですが、現実は「これ以上ガッカリさせないで、私の思うように動いてよ」と不満をぶつけられている場合がほとんどだと思います。

 恋に落ちると、「ああしたい、こうされたい」とふたりが欲求のカタマリになります。恋愛は、お互いのエゴを満たすべく求め合うものなんです。そこでエゴが一致すれば、相性抜群。しかし、ズレてぶつかれば欲求不満でケンカになります。

 なにも、期待がいけないというのではありませんよ。それはだれもが抱く当たり前の欲求で、それがあるからこそ反対側にある「愛」についても理解できるのですから。

 まずは、「期待」=「自分が思うようにしたいという執着心のあらわれ」ということを知ってください。

 例えば、恋人に「何よりも自分を優先してくれるもの」と期待していたあなたは、相手が友人と遊ぶほうを選んだら責めませんか? 

 あるいは、あなたが「誕生日は恋人と過ごしたい」と期待していたのに、「ムリなんだ」といわれて相手を恨めしく思いませんか?

 もしそこで、あなたが相手の気持ちを理解して笑顔でいられたら、ケンカになりませんよね。あなたが期待を裏切られても腹を立てず、つまり我欲に執着しなければ、どんなに期待してもかまわないのです。

 なぜなら、「愛」が勝っていれば、その場で執着心を手放すことができるからです。

 あなたの"ときめき"が強くなればなるほど、支配欲(独占欲)がわいて期待がふくらみます。だけど恋を"それだけ"で終わらせたくなかったら、この執着心を包み込む「愛」を育てましょう。

 期待して傷つき、それぞれの「愛ではない感情」に気づいて、「真実の愛」に目覚めていく…このプロセスが恋愛です。これについては『愛の木をそだてる本』(大和書房)で詳しく書いていますので、ぜひ読んでみてください。 

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Last Updated: 2004/05/07

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