「春は、くるものですね。毎年ちがった春が…」という友からのメールが届きました。希望の光が差してくるような、いーい響きです。冬のあとには、春がやってくる。そう、季節と同じように人生にも…。
毎年違った春を感じ取れるような、新鮮な感覚があることが「豊かさ」かもしれないと思います。それはどんな小さな喜びも抱きしめられる自分だから。
みなさんは、『豊かさのパラドックス』 という言葉をご存知ですか? パラドックスとは「逆説」という意味で、豊かになればなるほど豊かさから遠ざかっていくことをいいます。
例えば、おいしいものを食べれば食べるほど、おいしいという感動からはさめていくし、モノを買えば買うほど、モノによってはもう満足しなくなる、ということ。
そういう体験ってありますよネ。大好物を欲にまかせて食べ続けたら、すぐに感動しなくなって最後はどうでもよくなったとか・・・。また、次から次へとおもちゃを与えられた幼児は、感謝する気持ちも薄れておもちゃを大切にしなくなります。
はたして、これでしあわせといえるでしょうか? どうやら私たちは、このままだと「無感動の世界」に流されていく恐れがあります。あるいは、もっともっとと満足を求めて「はてしない欲望の世界」をさすらうのかもしれません。
これだけモノがあふれて食べたいものがいつでも買える社会は、本来ならしあわせなはずなのに、便利になった分だけ現代人の幸福感が薄らいで、「無感動の世界」や「はてしない欲望の世界」に引きずりこまれているとしたら…。
もしあなたが、知らないうちに『豊かさのパラドックス』にはまり込んでいると感じたなら、自分で工夫しましょう。
自分にとって本当に必要なものと、いっときの欲望に流されてほしがっているモノを分けるんです。いい方を変えれば、自分に感動をもたらすありがたいものと、他人がそうさせようとアオルものや見栄で得ようとしているものを、きっちり区別すること。
それを念頭においてモノとコトを選んでいくと、自分の人生におけるさまざまな事柄の優先順位がはっきりしてきます。
大自然から無償で与えられているもののありがたさが身にしみるでしょう。そして、モノは感動をもたらすための補佐に過ぎないと気づくでしょう。
その結果、自分の労力もお金もぽちぽちだらだら使うんじゃなくて、必要に応じて有意義に使うようになります。自分にあるものを、いつも感謝しながら感動のために使えることが、豊かさだと私は思うのです。
あなたにとって、感動をなくさないで生きることほど大切なことはありません。私たちは感動できれば、感謝がわいてしあわせに人生を送れるようにできています。もっといえば、感動するために生きているんです。
春は毎年くるけれど、「毎年ちがった春」を新鮮に感じて生きていきたいものですね。