ある晴れた日の昼下がり、私は近くの公園まで散歩に出かけました。そこには、2才くらいの女の子を遊ばせている母子の姿がありました。
私がベンチに腰をおろして青く澄んだ空に見とれていると、その子がおぼつかない足取りで近づいてきました。両手でなにか小さなものを、大事そうにはさんでいます。
「はい」といって、私の目の前にちっちゃな手を突き出しました。指のすきまから、土まみれになった青いガラス玉がキラリと現われました。
私がしゃがんで「わぁ、きれい。ありがとう」といって受けとると、その子はとても満足そうでした。「どうもすみません」という母親の声に、ニコニコして振り返り砂場に戻っていきました。
なんのこだわりもためらいもない幼子の好意に、私はすっかり感動してしまいました。知らないうちに私の中にあった警戒心や緊張が一気にほどけて、なんだかとってもやさしい気持ちが体中にあふれました。
作為がなくて無防備で、ただ思いやりに満ちたものに触れると、私たちは安心して自分を開きます。反射的に、そうなるんですね。
逆にいうと、それだけ社会生活では、神経をとがらせ、しくじってはいけない、だまされてはいけない、自分はどう映っているんだろうと気を張って生きているんだと思います。
これは、孤独といわれる現代人にペットを飼う人々が増え、動物と触れ合うひとときに安らぎを見い出しているという現象にも反映されています。
なんの疑いもなく慕い、全身で愛情を表現するペットの姿に癒されたり、あるいは、ペットを思いやる自分自身にホッとしたりするのでしょう。
だれだって「やさしい自分」は好きだし、笑顔をふりまき愛を放って暮らしたいと願っています。でも、人間関係において、それがうまくいかないのはなぜでしょうか?
もし、あなたがそう感じているとしたら、それは無意識のうちに、相手が作為のない好意を差し出してくれるのを待っているせいかもしれません。
待っているうちに、いつしか引っ込み思案になり、しだいに疑い深くなって、その結果、相手に遠慮や警戒心を抱かせている…としたら、この辺で、その悪循環を断ち切りましょう。
先に、相手を安心させてあげる側に立つんです。あなたから見返りを期待しない好意″をさっさと渡す。それでどう思われようが気にしないと腹をくくります。ここは、思い切りのよさを発揮してください。
すると、自分の気は楽になるし、作為のない好意は相手からやさしい気持ちを引き出すので、以前よりも関係がよくなります。
あげっぱなしの好意にこそ、価値があるんですね。そうすれば、いつもやさしいあなたでいられますよ。