(更新日:毎月7日)

Vol.9 無難に生きる?

 もしあなたが「無難に生きたい」と思って、人災天災を問わずいっさいの「難」を避けようとしたら? それこそ警戒するばかりで心が休まらないと思います。

 そもそも私たちは、へこんだときに成長していくようにできているんですね。現に、だれでもうまくいっているときは「このまま変わりたくない」と思うけど、ままならなくて苦しいときは「変わりたい。抜け出したい。もう同じ目に合いたくない」と思うでしょう。

 だからこそ、人は努力して学んでいける。これが成長の仕組みです。そして、成長して人生をふり返ったとき、無駄な経験は何ひとつなかった。あれを乗り越えなければ今の自分はいなかったとわかります。これが、人と比べて「よかった」とか「悪かった」ということとは別の次元の進化といえます。

 それなのに、あなたがはなから「難」を避けて守りに入ろうとすると、行動範囲が限られるだけでなく、人との出会い方まで変わってしまいます。まず、自分にその傾向がないかチェックしましょう。

「無難に生きよう」と思う人は、無難な人生を「よし」と決めつけ、同じような発想の人たちと群れて、まわりと同じだから安心と思うと同時に、今度は攻撃されることを恐れて、その狭い人間関係から出なくなります。

 出来事に対しては、過去に自分たちが体験してないことは"キケン"と見なして、自分たちに理解できない人を切り捨てようとします。ようするに、決まりきった人たちと分かりきったことをして、そぐわない人を非難することを"普通"だと思ってしまうのです。

 だから、新たな人物が現われると、わかち合おうとする以前にああだこうだと品定めして、自分たちと違う点をバッシングする。これでは、せっかく出会った人と、貴重な触れ合いを楽しんだり応援し合うことがむずかしくなります。

 自分がはみ出さないことで「無難な人間関係」を得ても、ワクワクし合ったりお互いの可能性を伸ばす関係を、知ることも築くこともできなくて、それどころか、たくましく個性的に生きようとする人に嫉妬して足を引っぱる恐れさえあるんですね。

 さらに残念なことは、無難な人生に執着すると、自分自身に対して「想像できる範囲の無難なこと」しかさせなくなる点です。冒険しない人生とは、チャレンジしない代わりに成長もしない人生。それは、ワクワクもウキウキもドキドキもない人生と自分自身です。

 人生をつまらないとかもの足りないとぼやくのは、予想外の楽しみや人に心から応援されることのなくなったこういう人たち。もしあなたに、少しでもこの傾向があったら、楽しく生きるために意識を切り替えましょう。人は、気づいた時点で変われるんですから。

 結論をいうと、「難を難ととらえない心」を持てば、結果として無難に生きられます。自分の辞書から「難」という字を、いっそのことなくしてしまうのです。

「人生にあるのは、成長と出会いのチャンスだけ」と割り切ると、同じことへの対応が変わってきます。難を避ける生き方よりも、難にメゲナイ生き方を目指しましょう!

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Last Updated: 2003/07/07

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