無情説法   

Vol.3

 あなたは、「無情」という言葉にどんなイメージがありますか? 一般には、つれない、冷たい、無慈悲といった感じで受け取られていると思いますが、そういった人情味のないことは「非情」といいます。

 本来「無情」という言葉は、感情や意思を持たない存在をいう仏教用語で、具体的には、山川海、草木花、風雲月といった自然のものをさすんですね。

 だから『無情説法』を聴くといえば、そうした自然が発する声に耳を傾けるという意味です。はたしてあなたは、無情説法をどのくらい日常に取り入れていますか。

 例えば、雪が降るという自然現象ひとつ見ても、何も感じない人もいれば、ウキウキする人も、逆にしかめっ面をする人もいます。また詩が浮かんでくる人、曲が浮かぶ人、絵を描きたくなる人と、その反応はさまざまでしょう。

 もし、小さな雪の結晶を見て宇宙の神秘に思いをはせる心があったら、何かひらめくかもしれません。もし、一瞬で消えゆくはかない存在に人生を重ねて想う人がいたら、何かメッセージを受け取るかもしれませんね。

 多くの哲学や芸術はそんなふうにして誕生し、宇宙の叡智は「無情」を通して人類に与えられているという気がします。だから科学も、自然現象を観察することで発展を遂げてきたのでしょう。

 でも、今や多くの現代人は、バタバタして時間に追われる生活をしています。とかく表面的になりがちで、自然界からのこうしたいただきものに目もくれないで走っています。その結果、エネルギーが空回りして心身ともに疲労困憊しているように見えます。

 こちらが止まって心を静かにしないことには、「無情」の声は聴こえてきません。それは心で聴くものなので、なんでもない自然現象に何を感じるかは本人の感知能力しだいといえます。

 感知能力は、使えば使うほど精妙かつ高尚に進化していき、自ずとさまざまな「発見」のチャンスが広がるようになっています。発見こそが進化につながるのです。それぞれが必要なことにちゃんと気づいて、学んでいくようになっているんですね。

 私たちの心がもっとも休まるのもこうした「無情」と一体になれるひとときです。またそこに、いのちを躍動させる根源もあるように感じます。

 人間が、もとは同じ「無情」の存在に感情と意思が与えられて生まれたとしたら、現代人が本来の自分に戻ろうとするとき、あるいは忘れてしまった何かを取り戻そうとするとき、『無情説法』は欠くことができないと思いませんか。

 偉人、二宮尊徳にもそのことが偲ばれます。彼の詠んだ歌を最後にご紹介しましょう。

≪音もなく 香もなく常に 雨地はあめつち 書かざる経を くりかえしつつ≫

【参考までに】二宮尊徳は、「人は生まれたら必ず死ぬ。生きられる長さに差はあっても、永遠に比べたらわずかで無に等しい。己の存在が無であれば、生きていられることや財産はすべて儲け」そういって私財・生涯を天下のために捧げた江戸時代の農政家です。

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Last Updated: 2003/02/14

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