行間で語る   

Vol.2

 最近「本を書きたいんだけど」という人によく出会います。私がもの書きなので、なんとなく心情を打ち明けてみたくなるのでしょう。「自分を自由に表現できる世界だから魅力的ですよ、書くことが嫌いな人は本を書こうなんて思わないから、とにかくやってみたら?」と私はいいます。

 伝えたいことがあるから、人は何か書いてみたくなるのです。そういった表現エネルギーを循環させると、きっと新たな自己発見があります。その先どうするかは、それを体験した自分に決めさせればいいんです。
「行間を書くのがむずかしいんでしょう?」といった人がいました。行間とは文章と文章の間のことで(英語でいうbetween the line)、作品は行間が語り出すとパワーが出て、どんどん読者を引きつけていきます。だから逆に、『文章を味わうには行間を読むことだ』ともいわれるのです。

 そもそも有限の言葉には限界があって、無限の心を書き表わそうにもなかなか叶いません。だから筆者は、いかにして読み手に思いを届けるかにいつも苦慮します。別の表現をすれば、言霊を行間に広げながら深淵な心の世界に触れていくことが、もの書きの醍醐味だと思います。

 感性というのは無限ですから、筆者の感性が読み手の心に響けば、共鳴して感動をまき起こします。逆に、言葉が暴力になって傷つける場合もあるでしょう。まさに言葉は、扱い方次第で何にでも変わる生きものみたいな存在なのです。

 私の大切にしている禅語に、≪有語中無語 無語中有語≫があります。意訳すれば、言葉の中に語り尽くせぬ世界があり、言葉のないところに語られるメッセージがあるということになります。私は言葉を駆使して"言葉を越えた世界"を表わしたくて、実際にそれを体得するために坐禅をするのです。

 あなたは日頃、どのくらい『行間に思いを描く』ように意識して言葉をつづっていますか? いつもあなたの文章は、あなたの心を丁寧に表わしていますか? というのも、たとえメールの文面でも同じことがいえるからです。

 毎日多くのメールを目にして、それが用件を伝えるための文章でも、微妙にそれぞれの感性が表われ個性豊かに感じるのは、私だけではないでしょう。あなたの文章世界は、こうしたさりげない文字表現の延長上に展開していくのです。

 言葉を使って伝えたいことが胸を突き上げるように湧いてきて、『行間で語るのは楽しいに違いない』と思えたら、あなたに執筆のときが訪れたのかもしれません。どうせなら、言葉にとらわれない言葉の使い手になりませんか。

 私たちは、何でも常日頃自分が敬意を表しているものに助けられます。だから言葉を敬い、行間も大切にしてチャレンジしてください。そのほうが早く文章がうまくなると思います。書いてみなければ何も始まらないし、なんといっても自分の才能を開花させることが、楽しく生きる秘訣ですから。

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Mostrecent update: 2003/01/24

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