幸せに生きたかったら、“感謝の心”を忘れないことが一番だと思います。わかっているけど、チヤホヤされるとすぐ天狗になってしまうという人は、自分にある能力を『自分のもの』と勘違いしているせいではないでしょうか。
これは仕事に限らず、家庭的なことから趣味や特技に至るまで、他の人よりうまくできたり早くできたりして、まわりの役に立つ能力すべてにいえます。それについて、私はこう考えています。
『ひとりひとりの能力は、他の人のために使うように与えられた宇宙財産』と。『自分はその管理者に過ぎないから、才能を磨いてしっかり管理すれば自信を得られるし、能力をうまく活かせば、人に貢献できるという生きがいを受け取れる』と。
しかし、いつどんなときも『自分が役に立てるのは、喜んでくれる相手があってこそ』という謙虚な姿勢が何より大切。そうすれば、才能が枯れることはありませんよ。なにせ、宇宙財産ですから。
そう考えると“気楽”なんですね。余分な心配をしたり、出し惜しみしたりしないで能力を発揮し、相手に喜んでもらうことだけを考えていればいいんですから。
それを、人に評価されていい思いをするために自分の能力を使おうとヤッキになるから、たえず不安がつきまとって戦い疲れてしまうのです。
すると、心のバランスがうまく取れなくなって、いい思いができなければ自己嫌悪、いい思いができれば鼻高々。そこを入ったり来たりして人生が暮れていきます。そういう人はたくさんいますが、心構えに問題があることになかなか気がつきません。
私たちに与えられた能力がみんな違っているのは、いろんな人を“喜ばせるため”に必要だからです。いろんな人の喜ぶ様子が、それを差し出した人の喜びになって、その人が存在価値を感じることができたらどんなにすばらしいでしょう。
宇宙は、いつも“全体でひとつ”なんですね。私たちは、その宇宙に生かされているということを、ときどき考えてみる必要があると思います。すると、自然に謙虚になれて、感謝の心がよみがえってきます。
最近、私は「感謝して生きる人生」にも《松竹梅》の三段階があると思っているんです。それは―
《梅》人から何かしてもらったことに、『ありがとう』を忘れないで生きる人生。
《竹》人から何かしてもらったら、自分のできることをして『ありがとう』をお返しする人生。
《松》だれに対しても自分のできることをいつもして、『ありがとう』を人から送られる人生。
これは、その人の感謝の度合いによって違ってくるのかもしれません。感謝が三段重ねになれば、きっと心の豊かさや幸福も三倍にふくらむことでしょう。ならば、ひたすら《松》に向かって生きたいと願うのは、私だけではないでしょう?