Vol.1

「"自力本願"」

 あなたの2002年の抱負はなんですか? 年頭に《目指す自分像》を自らにインプットするのは大いに価値あることだと思います。というのも、私たちの潜在能力は自動運転。あなたがセットしなければ、あなたの想いの強さを自動的に測って自然に働き出します。

 もし、あなたの中で、「こうなったらいやだなあ」と不安がっている想いが最大だと脳が察知すれば、その実現に向けて潜在能力を使い始めるということです。だから、漫然と生きることや望みなく憂いて過ごすのはとてももったいないことで、嘆けば嘆くほど、人生がままならないという悪循環に陥っていくんですね。

 かといって、あなたが「誰かが私を幸福にしてくれる方がいい」という価値観を抱くと、自らの潜在能力を眠らせたまま、他人に振りまわされることになります。だって、自分以外のものを一番信頼して、自由を預けてしまうわけですから。

 私たちが生きていく上での依存度は、祈る態度にもはっきりと表われます。真摯な気持ちで神仏に手を合わせるのはすばらしいことですが、「〜してください」の連呼になりがちです。そうではなくて、「〜のために、私は〜をします」あるいは「〜をする私をお導きください」という決意を表わすことで、神仏のご加護を願う姿勢が大切だと思います。

 祈りとは、自分の望みに対しておねだりすることではなく、自力本願を誓い、その実現に必要な体験と知恵を授かるようにと願う行為ではないでしょうか。主体はあくまでもあなた。あなた自身が望みに向かって生きる姿勢をなくして、潜在能力を発揮することも夢の具現もないでしょう。

 誤解を避けて書きますが、『自力でやれることはすべてやった上で、天命(他力)を仰ぐ』という意味で用いる他力本願は、最初から他人に依存するたぐいとはまったく異なった表現です。むしろ、こうありたいものですね。

 さあ、あなたの《目指す自分像》を具体的にインプットしませんか。遊び心で超マジに!これは「力まないで真剣に」という意味です。そして、あなたがつらくなったとき、この心の出発点を思い出しましょう。きっと軌道修正を助けてくれると思います。

 私は年の初めに富士山を見て、「この山のように生きる」と決めました。晴れても嵐でもいつもそこに凛として在り、それだけで人々を勇気づけ、その人本来のパワーを湧き立たせる雄姿…外の状況がどう変わろうとも、いつも富士山のように在ろうと思ったんです。そのために必要な体験と、それを乗り切る勇気を与えてくださいと祈りました。

 私はこの先「どうしてこうなるわけ?!」と落ち込んだときは、この抱負を思い出して「自分を育てる好機が与えられたんだ」と元気を取り戻すことでしょう。

 祈りは、誰のうちにも等しくある無尽蔵のパワーで、潜在能力を引き出し、それぞれに共時性をもたらして社会をも動かします。あなた自身のため、大切な人のため、あなたの暮らす地球のために大いに祈りの時間を持ってください。祈ることを日常にすると、「〜のために何かしたいのに、何もできない」という嘆きはなくなります。


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