私たちは、いろんなことを考えれば考えるほど、すべてを理攻めで解決したくなるものです。そして、考えることで解決がつくのではないかと錯覚してしまうんですね。
けれど、どんなに頭で納得しても、心で納得できなければいつまでも苦しみます。それが人間で、またそれが今のあなたの状態ではないかと思います。
自分を分析して自分について考えるものの、「自分を知ってる」とはいい切れません。では、「自分を知る」とはどういうことをいうのでしょうか。
それは「どう感じる自分がいるか」を知っていて「受け入れている」ことをいいます。決して「自分がそう感じる理由」を分析して非難することではありません。
実際に、あなたの心は「自己分析や自己評価」を求めてはいませんよ。「生まれも育ちも、これまでの人生も、すべてを引き受けて自分を愛してみてよ!」と訴えています。
理想を語る一方で頭でっかちになると、「こんな私では、愛されるに値しない」と勝手に決めつけ、「ポジティブに生きるには…」とさらに考えをめぐらせます。
そうやって自分を追いつめたあげく、「自分のことを嫌っていっさい認めない自分」になって大きな悲しみに打ちひしがれるのです。
理想は、あくまでも「目標」として掲げれいいんですね。今ここには、こうして苦しんでいるあなたしかいません。あなたはそれ以上でも以下でもありません。前に進もうと必死だから、こんなに悩み苦しんでいる。そんな自分をいじらしいと思いませんか?
私たちは人生で挫折をかみしめるたびに、なんとかしてその状態から抜け出そうとあがき、最後に愛を放ちます。自分への愛しか、そこから抜け出るすべがないことに気づくからです。
愛とは、あるがままの自分を受け入れて慈しむ心。それを目覚めさせるために、人は幾度となくつらい体験を味わうのではないかと思います。
思慮分別が、あなたをおとなにするわけじゃなくて、自分が放つ愛の深さが、あなたを本当の意味でおとなにするのです。これからはいっさいの「〜でなくちゃならない」から自分を解放してあげましょう。
自分を認めるのに条件をつけないで、赤子を愛するように自分を抱きしめ、心で感じるままを、ただじっと味わってみてください。それが悲しみでも、喜びでも、あるいは怒りでも。
ここでは「感じ切ること」に意味があります。感じ切れば、そこで息づいている自分を受けとめられるから。そのあとで、ひたすら幸せを感じるものに目を向けましょう。
あなたが今の自分も、過ぎた時間も、苦悩した体験も、いっさいを受け入れることができれば、それまでのすべての思いが「感謝してやまない心の財産」に変わるはずです。
その財産が、確実にあなたを理想に近づけてくれるのです。今より強くポジティブなあなたが、感謝の心ですばらしい人生を築きはじめることでしょう。
きっと、子どもに対しても世の中に対しても意識が変わると思います。なにをすれば自分が役に立つかと、ワクワクしながら考え出すかもしれませんね。
そうなる日を楽しみに、発展途上にいる今の自分を精一杯応援してあげてください。