10代の人たちからの相談が増えていますが、みんな自分のことがきらいで悩んでいます。(ニックネーム)さくら、Takiya、トクメイさんも、自分に置き換えて考えてみてください。
josoさんの場合は、自分がきらいというより、「そのまんまの自分」ではダメだと思い込んだところから、「じゃ、どんな自分ならいいか」と迷って行動するうちに人が怖くなってしまったようです。
では、なぜ留学先では「素の自分」でいられたのでしょか? 海外に行くと、日本人が外国人です。そこでは「○才の日本人は、こうでなくてはならない」というまわりの圧力も期待もないし、「みんなから、はみ出てはいけない」という常識もありません。
だから、安心して「自分」でいることができます。海外生活をするとわかりますが、まわりの個性に圧倒されつつも常に「自分はどうするか?」という選択を迫られるので、結果として日本人の特性とその自分を理解することになるのです。
あなたは、きっとまわりに気を配るやさしい人だと思います。もしかしたら、気が小さいところもあるかもしれません。日本に戻って「まわりから受け入れられたい」、「感じよく映りたい」という感情にとらわれて、自分の中で"モデル"を作ったのでしょう。
それを演じようとするあまり、「自分らしさ」を見失って演じることにも疲れていき、あげく「評価する他人」を怖いと感じるようになったんだと思います。
普通、表情や歩き方を気にして直そうとするのは、向上心のあらわれだから「いいこと」のはず。なのに、「楽しい人」と「いやになる人」がいるのはなぜでしょうか?
その答えは、本人が「自分のために喜んでやっているか」、それとも「人のためにムリしてやっているか」の違い。
この「自分のため」に喜んでする人は、自分さえよければ人はどうでもいいという自己チュウではありません。「自分を幸せにすること」を一生懸命考える人です。
かたや「人のためにムリをする」人は、「私は気に入られたいからムリして人に合わせます」といっているのと同じだから、自分を押さえつけたり、まわりに振り回される人なのです。あなたは、自分の意志でどちらにもなれます。
これからは、なにかをしなくっちゃ…と思ったら、まず自分に「それをするのは喜びか?」とたずねてみましょう。喜びを感じなければ幸せじゃないから、喜びのない行動はしないようにして自分を追いつめないことですよ。
だけど、そういった喜びとは別に、人生には避けて通れない「あなたがしなければならないこと」もたくさんあります。
例えば、あなたが「勉強は幸せじゃない」と思っていたら、そういう場合は、「勉強できることが幸せ」とは考えられませんか? あるいは、学校にいる「ある瞬間」だけは楽しければ、それを「もっと広げよう」って思いませんか?
こういう発想で「どこにでも喜びを見い出せる人」になっていけば、環境がどう変わってもあなたは幸せに生きられるし、いつでも自分を好きでいられます。
それが成長で、だれにとっても人生の大きな目標なんだということを知ってくださいね。