あなたの心のえぐられた傷が目に見えるようです。でも、負けないでくださいね、自分自身に。
私は体の障害について、決して特別だとか不幸だとは考えません。体の障害を理由にして、その人が"心の障害者"になったとき、人は不幸になるのです。
ものごとはすべて中立で、それをどうとらえるかというその人の心が、すべてのものごとの価値を決めます。だから、人生が苦しくなるのは、障害のせいではなくて、障害のせいにして自分が卑屈になるときなんですね。
たとえ体に障害がなくても、世の中には両親の価値観との違いや、理想と現実とのギャップに悩み、死にたくなるほどの不幸感を味わっている人は大勢います。健常者も障害者も、その意味で心の仕組みはいっしょ。
どの苦しみも当事者にとっては絶大で、本来苦しみに上下はつけられませんが、私は「その人に乗り越えられないようなハードルはない」と信じています。ギリギリで乗り越えられるハードルが常に用意される。それが人生だから。
それを乗り切るか、その前でへこたれるかはあなたの自由だけれど、それが人を育て、より大きな幸福を手にするための前段であり、試練です。これから手にする彼女との幸福のために、大きな勇気を持ちましょう。
娘の幸せを願わない親はないにしても、親の価値観を押しつけることで守っていると勘違いする親は多く、そういう親たちは、娘を信じることも、不幸になった娘を受けとめることも怖がっています。
いい方を変えれば、自分に自信がないからそうなるのです。どんなときも、ものごとや相手の状態を受けとめるキャパシティは、その人の人間としての器とイコールですから。
障害者に対する彼女の両親の価値観には、確かにこだわりと偏見があるようですね。あなたのいきどおりはよくわかりますが、かけおちのように、結果的に"両親を痛めつける"ことで決着するのではなく、こんなふうに考えられませんか?
物理的な条件ばかりに意識がとらわれている彼らに、大事なことを気づかせるという大きな役割りが、もしかしたらあなたにゆだねられているのかもしれません。
人はだれでも、人生のどこかで変われるチャンスを秘めていると思うでしょう?もし、あなたが彼らを否定すれば、彼らと同じように戦うエネルギーしか生まれないし、自分も大きくなるチャンスを逃すことになります。
人生で本当に大事なもの、一番大切なものは目に見えません。それは、自分のエゴを置いて相手に尽くす心であり、許す心。つまり愛です。彼らがあなたの中にそんな愛を見い出したら、きっと理解を示してくれるでしょう。
そのためには、愛という言葉ではなく、あなたの誠意を行動で表わす必要があると思います。方法を考えて、手紙でも何でも両親に対してできることをし続ける。それが、彼女への愛であり、また自分の人生を応援する自愛なのです。
かなりの根気と気迫と信念がいりますが、決してめげないで。最後の最後に人を動かすのは、いつも愛の力です。それを信じることで、あなたに勇気がわき続けますよ。