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「今回は、20歳代 男性 Y.Sさんからよせられた内容です。」

Vol.03  「自分の性格について」

From  Y.Sさん

はじめまして。自分は昔から人付き合いが苦手で自分から回避してしまうところがあり、直そうとは思うのですが直りません。小さいころからノロマで勉強も運動もできなくて、周りの人達からからかわれとても嫌な思いをしました。そのせいか、自分の弱いところや気にしていることに触れられることを極端に恐れるようになってしまいました。それは今も続いて、周りの人に本音を言ったり自分をさらけ出すことができません。明るくて思っていることをポンポン言える人がうらやましいです。自分といったい何が違うのでしょうか。家庭では両親から「お前は集中力がないのだから・・・」などと欠点を断定的に指摘されることがありました。後で聞いたところ、欠点を自覚させて努力することを促すためと言っていましたが、このことも少しは影響しているでしょうか。それとも、自分の勝手な思い込みでしょうか。

 

カウンセリングメッセージ

 あなたの生真面目さが伝わってきます。きっと自分を全部「鋳型」に押し込んで、ずいぶん窮屈な思いをしているのではないでしょうか。それがあなたのストレスになっていると感じます。

 私たちが生きていくことは、生まれと育ちを引き受けることです。これは、いいにつけ悪しきにつけ、親を筆頭にまわりの影響を受けながら人は成長するという意味です。その影響が強ければ強いほど、その人にとっての「鋳型」は強固なものになります。

 だから成長とは、『何らかの形で鋳型にはまった自分を、不具合を見て直したり部分的に解放していく作業』といえるかもしれません。それができるのが自立した大人、つまりあなたです。

 あなたは幼いとき「集中力がない」と親に断定され、それを無意識に受け入れて自分を鋳型にはめ込みました。それによって「集中力がある自分」を否定してその能力が発揮されるのを妨げてきたのです。その結果、自他共に認める集中力のない性格のあなたができあがりました。これが性格形成のプロセスです。

 おわかりですか。鋳型そのものはひとつの個性を形取っているものに過ぎません。だから鋳型を全部"悪"と決めつけないで、どこが不具合かを見きわめる姿勢が大切です。それはあなたが「このままでは、どうしても幸せに生きられない」と感じる部分です。

 でも鋳型と表現されるだけあって、焦って直したいと思っても、現実はすぐに変わらないでしょう。そこで、もうひとつの『鋳型を味方につける』方法をお勧めします。鋳型を毛嫌いしたり抵抗したりしないで、あなたにとって快適に使う方法です。

 人は自分自身を否定して隠したいと思えば、他人を避けようとします。でも、ポジティブに居直ってしまうと、もはや他人から逃げる理由がなくなります。あなたが「ノロマ、勉強も運動もできない、弱いところや気にしていることに触れられることが怖い」と嫌っている部分を、「それがオレらしいところだ」と個性(魅力)として受け入れてしまうのです。

 大上段にかまえて性格を変えなくてはと思う必要はありません。変えるのは、そのことが悪いと思い込んでいるあなたの思考です。それこそ親の刷り込みですから。動作がゆっくりでどこがいけないんでしょうか? 恐怖を感じるのはいけないことですか?

 同じあなたが、私の目には『何事にもマイペースで落ち着いていて、繊細でまじめで気がやさしく』映りますよ。だからあなたも、自分のことをそんなふうに見てあげてください。それが自分を愛するということです。

 そうすると、「ノロマで勉強も運動もできなくて、弱いところや気にしていることに触れられるのを怖がっていた自分だったからこそ、これが成し遂げられたんだ!」と思えるようなことや、愛する人に必ずめぐり合えると思います。

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Last Updated: 2003/02/21

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