ひとり思い悩んでつらかったことでしょう。でも自分の人格を、『嫌われる』と決めつければ、決めつけたようにしかまわりは反応しません。それで事態が好転するのはむずかしいんですね。お母さんのせいにしたところで同様、何もいいことは起こりませんよ。
これまで、自分を愛したいと思っているけれど上手にできなかったとしたら、やっと今、自力で新たな人生を切り開くときが訪れたと考えましょう。そのために勇気を使うか使わないか(あるかないかではありません。誰にだってあるのですから)が、自分を愛せるかこのままでいるかの岐路です。
そこで、あなたに提案します。自分から心の壁を作ったり人の様子をうかがう前に、ひたすら人にやさしくするのです。とにかく親切の限りを尽くす。どう思われるだろうと考える前に、どう思われても親切な行為をし続ける。と決心してください。
やさしくされて嫌な人はいないと思いますが、ただし注意することがあります。あなたの中に「これで好かれるかしら」という疑心暗鬼や、「いやがられたらどうしよう」というおびえがあると、態度がいびつになって"心からの親切"ではなくなってしまいます。
大切なのは「その結果、まわりがどういう態度をとるようになってもいい」と腹をくくること。あなたは、「心から親切にする。純粋に堂々と親切そのものをすることに、今意味がある」と信じて、それを肝に銘じるのです。あなたが「もういい」と思うまで実行してください。
親切を具体的にいえば、くったくのない笑顔、嘘じゃないほめ言葉、健康への気遣い、人のいやがることを進んでやってあげる等々。必ず『自分がしてもらえたらうれしいこと』を、会う人ごとに片っ端からしていけばいいんですね。
結果は2通り予測できます。1つ目は、あなたが怖くなって(あるいは傷ついて)親切をやめてしまう。2つ目は、気がついたら親切な人としてまわりに受け入れられ、自信を取りもどす。そのときは、当然あなたに明るさがよみがえっているでしょう。
この2つの違いは、あなたが本気で今の状態から脱したいと思っているかどうかにかかっています。
自分を悲劇のヒロインに仕立てあげ、口では「もういや」といいながら言いわけばかり連ねて、何一つ変えようとしない人がけっこういるのです。そういう人は、惰性によって流されるほうが楽になっていて、そのまま愚痴と不満と自己嫌悪の人生を生き続けます。
でも、真剣に幸福になろうとして"本気"を出す人は、他人に甘えません。このままの状態よりはましだと自覚して努力を惜しまないので、底力を発揮しはじめます。そのがんばりに、宇宙のサポートがあるのです。今のあなたが想像もできないようないいことが、必ず待っているでしょう。
自分を救えるのは自分だけです。誰もあなたの人生を肩代わりすることはできません。どう思われてもいいと開き直ってひたすら親切を施し、一切の期待を置いて頭はたえず次の親切についてだけ考える。これを実行します。
『自分を愛し抜く』ための関門は、どうやって自分を認めていくかです。あなたの貴重な輝く人生のために、ここで勇気を奮い立たせましょう。
いずれ、あなたが親切にしたのは他人ではなく、実は自分自身にだったと気がつく日が訪れると思います。あなたの流した無償の愛には、他人用と自分用という区別はなかったのです。