あなたは、大人たちから学べることは学んで成長しようとするまじめな人です。だからこそ、まわりにいる大人たちに指摘されたことがどうしても腑に落ちなくて、不信感を覚えはじめた自分に戸惑っているのでしょう。
そういうあなた自身も、大人の仲間入りを果たす20歳。「自分の未熟さ」を理由に大人を不信の目で見るのではなく、「人を見る目」を養うことに全力を注ぎましょう。言いたいことを言う大人に囲まれている今の状態は、人を見る目を養う絶好の機会です。
最初に、“大の大人”だからといって、みんなが正しい発言をするとは限らないということを理解してください。それなりに人生経験を積んでいても、意識の高さはまちまちだからです。自らの体験を糧にして心を磨いてきた人かどうか、若者の力になりたいと思っている人かどうかで、言うことがまるで違ってきます。
私たちはみんな、自分が正しいと信じる価値観に乗っ取って生きています。その意味で正しさは人の数だけあるのですが、そうではなく、「自分の価値観が正しい!」と思って相手に押し付ける人もいれば、また、相手が若いというだけで高飛車にものを言う人もいるでしょう。
あなたは自分が世間知らずなことや、矛盾点を指摘されることを恐れているようですが、ショックを受けるような物言いをされたときは、発言した人の価値観と抱えている不満を冷静に見てみようと思えばいいのです。批判的にならず、しっかり観察してください。
そして、あなたが「こんな大人にはなりたくない」と感じたら、その部分を反面教師にすればいいし、逆に「こんな大人になりたい」と感じたら、そのよさを取り入れたり、素直に「どうすればそうなれますか?」と尋ねればいいのです。
たとえば「キリスト教徒は神社へ行くのはおかしい」と発言した人は、一神教に対する固定概念や、区別意識が強いのかもしれません。あなたが真逆の発想の持ち主で、「神はひとつ」「それぞれの信仰を尊重すべき」と思うなら、「自分はそう考える人間なのだ」と改めて自覚すればいいだけですよ。
20歳で大人に失望しても何もいいことはありませんから、こうしませんか。どうしてそんなことを言うのかと違和感を覚えたときには――、@自問自答する。「自分だったらどう言う?」「どんな態度を取る?」と内奥から問いかけられているのだと考える。
あるいは、A堂々と対話する。「若造なので勉強させてください。どうしてそう思われるのですか?」と謙虚に尋ねる。もし、返ってきた答えが腑に落ちなかったとしても、相手の価値観を否定しない思いやり(=自尊心を傷つけない心配り)を忘れないでくださいね。
そうした態度も含め、あなたはこれからさまざまな人生経験を積んで“自分の人間性”を高めていくのです。つまり、その都度その都度、「自分はどうありたいか」を考えて自身の価値観を選んでいくということです。
それは実に興味深いことです。なぜなら、大人になるということは、自分が選んだ価値観で、自身の責任で、好きなように人生を創造できるということだから。あなたは今、そのために必要なデータを集め、世間勉強をしているさいちゅうなのです。
「未熟なうちはどう生きればいいか」という問いに答えるならば、「世間勉強に情熱を燃やし、二度とない今を大いに楽しみなさい」です。これからいかに成長できるかは自分次第。温かい目でまわりの人たちを眺め、世間勉強をおもしろがる心の余裕を持ち、積極的に新たな出会いを求めて進みましょう。大いに魅力的な人物になってください。