あなたの苦しみは体験しないとわからないものなのかもしれませんが、私は、長らく耐え忍びながら自分を見つめてきたあなたに敬意を表します。そんなあなたに伝えたいことが2つあります。
1つ目は、今のつらさを味わうことは、あなたの魂が立てた計画に組み込まれていたということ。「意味のない体験は、人生にひとつもない」という言葉を聞いたことがあるでしょう? その真意は、「体験の意味を見つけよう=魂の意図を探ろう。それさえ腑に落ちれば、すべてを受け入れて前に進めるから」ということなのです。
もしもあなたが魂≠フ存在なんて信じられないというなら、人生に起きた理不尽な出来事を納得するのはとてもむずかしく、投げやりにならずに怒りや悲しみを乗り越えることは本当につらいと思います。
でも、今味わっている体験には意味があると仮定すれば、こんな発想ができませんか? 自分はまわりにいる人たちに影響を及ぼし、「その人に必要な気づきを促す」役割を担っているのかもしれない、あるいは自分が「人の痛みを肌でわかる」ようになれば、これまでの体験を役立てられるかもしれない、と。もしかしたらそれが魂の意図かもしれないのです。
今の状態をつらい、つらいと感じる時点で立ち止まらず、それはそれとして、次の展開を試みてみましょう。事態(社会や病)を変えようとするのではなく、そこにいる自分が求めるものを変えてみてください。
2つ目は、「人間としての尊厳」についてです。あなたという人間が生まれた厳かで尊い価値を、あなたはほかの人、つまり社会から与えられるものだと思っていませんか? 違いますよ。尊厳は、自分が自分に与えるものなのです。
あなたの尊厳は、あなたがどんな立場に身を置こうとも、本来は少しも損なわれるものではありません。あなたがつらい思いをしてきたことは理解しますが、あなたは不当に扱われる自分を、心のすみで「こんな自分には価値がない」と裁いていませんか?
自分の価値を認めたいのに認めることができない……という苦しみが、「現代の日本社会が自分に尊厳を与えてくれない」という不満に反映されているように感じます。やり場のない怒りをぶつけることをやめないと、今ある苦しみからは解放されませんよ。
あなたは、あなたにしかできないことを、この人生で果たすために生きているのです。そうでなければ、あなたは最初から生まれてはこなかったはず。さあ、発想を変えて、「これまで生きてきた自分にしかできないこと」を考えてみましょう。
あなたの流した涙を、どしゃぶりの雨にたとえてみます。どしゃぶりのあいだ、恨めしそうに雨空を仰いで「こんな雨になっちゃった……」となげいて過ごしますか? それとも、「この雨を逆手にとってできることは何だ?」と考え、雨をテーマに詩を書いたり、絵に描いたり、音楽を作ったり、いっそ雨の中に飛び出して「雨に打たれる体験を満喫する」ほうが、ずっと「今を生きる」ことができると思いませんか?
これまでの体験をつづってみるのも一案です。無理をしない範囲でやってみて。それをネットで発表しても、小説に仕上げてどこかに応募してもいいから、その作品にあなたの愛を込めましょう。きっとだれかの胸にメッセージとして届くから。自分に与えられた環境で何をするかは、あなたが自分の意志で決められることなのです。