気持ちが混乱していることがよくわかります。あなたは今、理性で感情を整理しようとしていますが、理性の思い通りにいかないのは、心が矛盾しているからなのです。
まず、自分が頭ではどんなことを考えているのか、心ではどんなことを感じているのか、そして何が問題なのか、それを明確にしましょう。理性と感情に分けて見ていくと理解しやすいと思います。
最初に、あなたの理性は「教授陣が加害者、生徒である私は被害者」というスタンスで、「教授陣が弱い立場の私にいかにひどい仕打ちをしたか」ということを訴えています。それで、「あの人たちと二度とかかわるな」と感情に呼びかけているんですね。
一方、感情は、ズタズタにされたにもかかわらず、「男性教授への思いを断ち切れない。もう一度復学したい」と訴えています。思慕の念に駆られることへの悔しさと、気持ちを踏みにじられたことへの憎しみを抱えながらも「気になって仕方がない。忘れられない」というのが本音でしょう。
今のところは、理性が感情を抑え込んで泣き叫ぶことで耐えていますが、この状態では理性が勝って感情を抑え続けたとしても、あるいは感情が勝って復学したとしても、これまで以上に傷口を広げてしまうでしょう。
そうならないためには、自分を冷静に分析して心の癖=i思考パターン)を知ることが必要です。知れば、きっと進むべき道が見えてきますよ。あなたにぜひ気づいてほしいことがあります。それは、「私は悪くない」と自分を正当化する心の癖です。
たとえば、「後から、20年も前から一般常識のない学生をモラハラで社会復帰できないようにしていると聞いた」という弁明は、『だから私には責任がない』という気持ちの表れですし、「男性教授のマインドコントロールから今も抜け出せない」は、『今もこんなに惹かれるのは彼のせい』という気持ちの表れです。
そんなふうに主張する深層にはどんな感情が隠れていると思いますか? それは「自分で自分の人生に責任を取るなんて、怖くてできない」「人生に失敗したくない」という恐れです。恐れを誤魔化そうとすると心が矛盾するんですね。
「怖くても、失敗しても、自己責任で生きる!」という覚悟を決めない限り、あなたはいつまでたっても自分の人生を生きられませんよ。
そこで提案があります。一連の出来事を人のせいにすること、つまり責任転嫁をやめて、同時に自分が被害者に納まることもやめて、発想の転換を図りましょう。「大学で起きたことは、自分に必要な体験だったのだ」と考えるのです。
それを、魂の計画と思ってもいいし、運命として受け止めてもかまいません。もっとも重要なことは、あなた自身が「苦汁をなめた貴重な体験を今後の人生にどう活かすか」なのです。
選択肢はいろいろあります。たとえば、別の大学で学位を取得して専門職に就く。これを機に違う職業を模索する、等々。もし復学を望むなら、未練からではなく、学問を究めるという明確な目標を持たないと元の木阿弥ですよ。
あなたが自分の人生に自分で責任を負って生きていくならば、どんな道を選ぶのも自由です。ただ一点、この試練に打ち克って成長を遂げたとき、かかわった人々に「あの体験をありがとう」と心から言えるような生き方を選んでくださいね。