あなたは思うように自分を愛することや、素直に感謝して生きることができず、まさに神様にすがりたい心境≠ネのでしょう。それなのに「証拠がないと神様の存在を信じられない」と思ってしまうのはなぜか、わかりますか?
心では神様を求めていても頭が防衛してしまう……それは、もしも神様の存在を信じていいことがなかったらどうしようと恐れているからです。目に見えない存在に対する大きな期待と、これ以上落胆したくないという気持ちの板ばさみになっているのでしょう。
そもそも神様には形がありませんから、呼び方ひとつとっても、大宇宙、大自然、大いなる生命、サムシング・グレート……と人それぞれ。私にとっては祈りを捧げる対象が神です。大切なのは呼び方ではなく、「自分は人智を超えた存在に生かされている」と信じる心なんですよ。
私もあなたの年頃には「神様がいるという証拠が見たい」と思いましたが、真理を探究するうち、宇宙の営みをつかさどる人智を超えた存在が、万物を生かしていることがわかったのです。たとえば、あなたが熟睡しているあいだも心臓を動かし、植物が二酸化炭素を吸って酸素を出すようにしたのはだれでしょうか?
それからは「小さな神様が私のなかにいて、私を生かしてくれている」と思うようになりました。私たち人間は、『体』と『心(思考・感情)』と『魂』からできています。小さな神様とは、それぞれの魂のこと。
魂は愛の存在だから、あなたが魂の自分を信じれば、自然に自他にはせる愛があふれてくるでしょう。逆に、まるで信じないと、身勝手なことばかり考えるエゴ(思考)に振り回されるようになります。不安や怒りが生まれるのは、エゴが何もかも思うようにしようとして、それがままならなかったときなのです。
あなたが不登校になったことを取りあげても、エゴはたぶん「私は悪くない、むしろ被害者よ」と主張するでしょう。けれど、はたしてそんな気持ちで幸せに生きていけますか? 不安が募る一方だと思います。
もし、あなたが魂の声に耳を澄ませれば、「ものすごく大切なことに目覚める機会を与えられた。かけがえのない体験をさせてもらっている」と気づくはず。すると希望がわいて、今ある不安はきっと小さくなるでしょう。
まだ若いあなたの身には、これからいろいろなことが起こると思いますが、これだけは覚えておいてください。そのときは「どうして?」と途方に暮れても、長い目で見れば、人生には不必要な体験も、不幸せな出来事もありません。すべては、あなたが幸せに生きるにはどうすればいいかを伝える魂からのメッセージ、神の恩寵なのです。
私にとっては祈りを捧げる対象が神だと書きましたが、祈りはないものねだり≠ナはありませんよ。何があっても愛の存在として生きていくにはどうすればいいかを自問する(小さな神様に尋ねる)ことなんですね。
あなたのなかにも小さな神様≠ェいると信じませんか? 人生や人間関係に迷ったら、一心に祈ってみてください。そのときの自分にとって、きっと最良の答えが見つかるでしょう。