あなたはかつて人の言動で深く傷ついたことがあったのでしょう。その心の傷を癒す前に怒りや悲しみを抑圧してしまったので、「もう二度と傷つきたくない」という恐怖ばかりが心の中で大きくなってしまったようです。
精神科医のキューブラーロスが言った『人の感情には、究極的には愛と恐怖しかない。愛を選ぶときは恐怖ではいられないし、恐怖を選ぶときは愛ではいられない』というメッセージはその通りだと思います。頭で考えることに心がついてこない状態でも、あなたは自分が進むべき方向を見失っていませんよね。それはすばらしいことです。
では、少しでも愛を選べるようにアドバイスしましょう。それは、今感じている恐怖を悪者にしない。つまり恐怖を、忌み嫌う、なくさなければいけないと思う、なくしたいと願う、憎悪する…といった悪者にしないことなのです。
恐怖を嫌悪すると、恐怖に振り回される自分のことも嫌悪するようになります。そして「こんな自分じゃなければよかった」「私なんかいないほうがマシ」といった感情を抱きやすくなるんですね。でも、自分を嫌悪して幸せでいられる人はいませんから、自分が一番苦しみます。
最初に、あなたが傷ついた体験は過去のもので、今は"終わった記憶に振り回されている状態"だということをしっかり認識してください。ちょっと想像してみて。あなたが常に「私は傷つけられるのでは……」という疑念と恐怖を発していたら、まわりの人たちはあなたに近づけない、いえ、近づかなくなると思いませんか?
そこで提案です。過去の体験の置き土産である恐怖を、ここで改めて受け入れましょう。こわいという気持ちに"イソウロウ"の許可を出す。具体的には、「他人はこわいですけど、それがどうかしました?」という感じで開き直るのです。
恐怖を克服するには、戦わず、逆に存在価値を認めるほうがいいから。すると、新たな行動を起こす勇気が生まれてきます。恐怖の役目はあなたをつぶすことではなく、それを乗り越えさせて成長させることにあるからです。
別の言い方をすれば、恐怖は「逃げてばかりいないで、いっそ自分を差し出して」という胸の奥からの呼びかけなんですよ。その呼びかけに応じれば勇気がわくようになっています。さあ、それを実践しましょう。
あなたの問題は人をこわがることではなく、「人にやさしくされることを真剣に想像しない」「やさしくしてくれる人がいると信じて接しない」ことにあると思います。これからは、やさしくしてくれる人の存在を信じて、自分にやさしくしてくれる人を必死で探しましょう。そのことで頭をいっぱいにしてください。
探し方はいたってシンプル、あなたのほうから出会う人みんなにやさしくすればいい。進んで温かい言葉をかけたり親切にすることで、あなたは自然に愛を選ぶことができます。こわいなと思っても、あえてそんなふうに振舞ってみましょう。
たとえば、買い物に出てお店の人と笑顔で話してみる、習い事をはじめて共通の話題を作る、等々、自分から言葉がけをする練習をどんどんやってみて。その結果、あなたは自分にやさしくしてくれる人たちと数多くめぐり会えると思います。
愛も恐怖もしたがえた自分とうまく付き合えるようになったら、きっと他の人ともうまく付き合えますよ。傷つくのがこわい、親切にされたいという気持ちはみんな同じだから、長年苦しんだ分だけあなたはよき理解者になるでしょう。