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カウンセリングメッセージ

Vol.10 「私は死にたい」

From  匿名希望さん

宇佐美さんの文章を読んで「死にたい」という気持ちから解放されたこと数知れず、24年生きてくることができました。でも、心では理解しても、実践できるかどうかは別の話です。私は今とても苦しんでいて、どうしてもそこから抜け出すことができず、自殺しようと思っています。誰かを頼りにしてカウンセリングを受けても、私のことを親身に心配してくれる人はいませんでした。ちなみに友だちも恋人もいません。ひとりぼっちの孤独に耐えうる心の強さは持っていません。これが私が人生をあきらめる理由です。自殺未遂の経験もありますが、そのときは両親の愛情を思い出して遂行できませんでした。おとうさん、おかあさん、本当にごめんなさい。でも、私は生まれたくて生まれてきたのではないと考えると、少し罪悪感が薄れます。私は誰かに自分が自殺したいほど苦しんでいるという事実を分かってほしかった、頑張って生きた証をこの世に残したかった、それだけです。

 あなたの文面からヒリヒリする孤独感が伝わってきました。自分だけがこの世にポツンと取り残されたような感じ、自分とのことなどだれも真剣に考えてくれない……そんな苦しみから逃れるには死ぬしかない……。たぶんそんなふうに考えているのでしょう。

 あなたは純粋に生きることを考える人だから、今死ぬことを考えているんですね。「死にたい」という叫びは、「生きたい」という叫びと根本は同じです。また、本当は両親の愛情に応えたい人だから、「私は生まれたくて生まれてきたのではない」と一生懸命自分に言い訳しているんだと思います。

 考えてもみてください。人間は"死ぬ自由"まで与えられている存在なんですよ。それはつまり「好きなように自由に生きなさい」ということ。死ぬ勇気があるのなら、その前に、未知の世界に自分を放り出す勇気を放ってください。

 今のあなたに伝えたいことは2つあります。1つは、「生きたまま生まれ変わるチャンスが目の前にきていますよ」ということ。

 人間はどんなに苦しくても、文句を言えるあいだはまだ余力が残っています。そのときに「肉体を葬ればラクになる」というエゴのささやきに負けてしまうと自殺します。でも、にっちもさっちも行かない中で逃げ出さずに踏ん張っていると、ついにエゴの殻を打ち破って自殺願望を葬ることができます。

 すると、「ああできなかった。こうしてほしかった。私はなんてかわいそう……」となげいていたエゴに代わって、現実を受け入れる素直な自分が登場し、「これが私の人生なんだ。頑張ったけどこうなったことは仕方がない。この人生を受け入れよう」と覚悟できるのです。

 絶望は、いわばエゴの殻を打ち破る手段なんです。エゴの殻とは"最終的にあなたを孤立させて不幸にする価値観"のことです。つまり既成概念。しかもそれは他の人から押し付けられたものです。それを捨てると、あなたの心ははじめて自由を得て生き方が変わるでしょう。そのときが迫っていると感じます。

 あなたはもともとまじめで一途だから追い詰められてしまったんだと思いますが、あなたは絶望して自殺するために生まれたわけではありませんよね。人から押し付けられた価値観から脱し、自分の新たな価値観で生きていくために生まれたのです。

 だから、このチャンスをしっかり自分のものにしましょう。絶望や孤独はだれの人生にも訪れますが、それを「生きたまま生まれ変わるチャンス」にできるかどうかは、自分を信じられるかどうかにかかっています。

 もし自分のことを、情けないとかふがいないと感じるなら、この人生をプログラムした自らの魂を信じませんか。2つ目に伝えたいのはそのことです。あなたの魂は、この人生を通して成長するためにさまざまな出来事を用意しています。そこには「生きていてよかった」「生まれてきてよかった」と涙する体験も含まれているはず。それを体験するのはこれからですよ。

 私の場合は、自分が死にたいと思った39歳のとき、もう失うものは何もないと思ったら勇気がわいてきて生まれ変わるチャンスを得ました。そんなもろもろの体験を踏まえて本を書くようになったのです。

 あなたはまだ24歳。この人生でどんな役割を果たすのか楽しみです。心配しなくても死ぬときはいずれ必ずやってきますから、今はエゴのささやきに耳を貸さず、新たな価値観で生きてみましょう。

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Last Updated: 2012/11/17